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同じような会話ばかりだと感じてしまう毎日

普通とは異なる趣味嗜好の人は2種類に分けられる。一つ目は、たまたま王道とは逆の信念を保持している人である。流行りのJPOPではなくクラシックを好きこのんで聴く人は、クラシックは素晴らしいと思っているから、髭男ではなくバッハを聴くのである。このような人は、本人が心の底から好きなものが、たまたま王道ではなかったのである。

二つ目は、否定から入るような人である。たとえば、「backnumberを聴いている普通の若い男」と思われたくないから、60-80年代のUKロックしか聴かないような人が、これにあたる(私見ではその傾向は強そうだが、ロック好きが全員こうだと言っている訳ではない)。これはいわゆる逆張り(オタク)と呼ばれる人たちのスタンスである。

両者の違いは、自分の好き嫌いが、結局のところ、流行に依存しているか否かという点にある。先ほどの例で挙げたバッハ好きの人は、仮にバッハがめゃくちゃに流行ったとしてもバッハ好きを公言し続ける。それに対して先ほどの逆張りUKロック好きは、Black SabbathやIron Maidenが流行り出したら、それに嫌気が差して今度は「backnuberは良かった」などと語り出すだろう。結局、逆張りは「王道の逆をいく」だけであり、確固たる信念などはないのである。

逆張りとはもともとは投資用語らしく、その対義語は順張りである。流行に限らず、王道をいくようなスタンスは順張りと呼べるだろう。

ここで、逆張りのロック好きがいる、以下のような状況を想像してみてほしい。

クラスメイトと一緒にbacknumberの新曲について話が盛り上がっているときに、先ほどのUKロック好きが混じっている。そして、backnumber好きの1人が「あのドラマの主題歌は良かった」などと言って他の人も同調している。そこで誰かが「逆張り君はどう思う?」とUKロック好きに意見を求めてくる。すると彼は「backnumberはあんま聴かないんだよね」と応答してくる。ここまではよくある会話だろう。ここで逆張りを極めた人は、「そもそも何でみんなbacknumberが好きなの?」と突っかかってくる。それに対しての応答としては「歌詞が共感できる」「ボーカルの声が良い」など様々な可能性があるだろう。しかしさらに逆張りを極めた人であれば「歌詞ならこのバンドも良いし、ボーカルの声はこっちの方が優れているよ」と返してくるのだ。

ここで強烈に面倒臭いのは「歌詞ならこのバンドも良いし…」という最後の部分だろう。この面倒臭さは、「クラスメイトと音楽の話で盛り上がる」というクラスメイトの会話の目的をガン無視して、1ミリも盛り上がらない会話を始めようとしているところにある。

ここで起きていることを一般化すれば、「会話の目的が、逆張りの人とそれ以外の人との間で異なっている」ということである。クラスメイトの目的は「盛り上がる」ということであり、逆張り君の目的は「論破する/知識をひけらかす/音楽議論をする」ということになっていると思われる。逆張り君に寄り添って、「音楽議論をする」という最も控えめなものを彼の会話の目的として想定しても、結局クラスメイトとすれ違っていることは変わらない。大事なのは、彼が論破しようとしているとか、知識をひけらかそうとしているということではなく、彼の目的や会話の参加理由が、他の人と異なっている、ということである。

逆張りの典型例ともいえる上のケースは、異論の余地なく面倒臭い。しかしここで、あえて逆張り君に寄り添ってこのケースを考えてみたい。逆張り君からしたら、順張りクラスメイトたちの会話の目的は、よくわからないのである。

それはどういうことか。上ではクラスメイトたちの会話の目的を「みんなで盛り上がる」とした。そして、逆張り君はこの目的に乗れていないということを述べた。しかし、「みんなで盛り上がる」ことが会話の目的となっている状況は、果たして健全なのだろうかと、逆張り君は考える。なぜなら、盛り上がるか盛り上がらないかはあくまで会話の結果であって、目的として事前に設定するようなものではないと、逆張り君は考えるからだ。

クラスメイトの会話の例では、backnumberの音楽について肯定的なことを言ったり、ある程度人の発言に同調していれば盛り上がることが確約されている、ということも重要である。たとえば、backnumberの話で盛り上がりたいのであれば、「歌詞が共感できる」と言っておけば大体ウケることは確約されているように思われる。この工程を踏めば、特に否定されることなく、「みんなで盛り上がる」という目的を達成することができるのである。

似たようなことは、カラオケでもよく起こる。以下のような経験は日本に住んでいればよくあることだろう。

同僚複数人でカラオケにいくことになった。しかしみんながどんな音楽を好きかはよくわからない。とりあえず、流行りの曲を歌っておけば雰囲気が悪くなることはないだろう。けど最近はあまり音楽を聴いていないから、ヒットチャートをまた上から聴いてある程度歌えるようにしないといけない、spotifyで検索しよう…
1週間後、勉強は功を奏し、同僚といった初カラオケは見事盛り上がることができた。

ここでは、カラオケに行く目的が「みんなで盛り上がる」ことになっている。さらにそのためには、みんなが知っている曲を歌ってそれなりの相槌を打つという工程を踏めばよいことは明らかである。そしてそのために、「みんなが知っていそうな外れない曲=盛り下がらない曲」を勉強する。つまり、カラオケは、盛り上がるという目的もその方法も確立されているようなタイプのイベントなのである。

しかしこれでは盛り上がれないのが、逆張り君なのである。なぜなら、盛り上がり方やその方法がわかってしまっていると、それはまるで「モリアガリ」という名のゲームをプレイさせられているようで、真に心から盛り上がることができないからである。言うなれば、あまりにも予定調和すぎるために、やる意味がないように感じられるのである。

こう考えてみると、逆張り君が会話の目的の達成には貢献しないような、面倒臭い質問をするわけもわかってくる気がする。つまり、彼は予定調和的な会話や盛り上がりが嫌であり、それを崩すためにあえて誰も問いかけないようなことを聞くのである。

「あの音楽(主にJPOP)は良いよね〜」とか「カラオケに行ってみんなで歌おう」とか「とりあえず飲み会行って腹割って話そうぜ」みたいなものは全て、予定調和的であり、それゆえに目的とそこに至る工程が明示的に意識されてしまうと、どこか興醒めしてしまうのである。ある程度の工程に従っていればどことなく盛り上がれる、その程度にしか見えなくなってしまう。要するに、「この人とは気が合うかもしれない」「この人と話し合わなかったとしたら残念だな」のような、当たるか外れるかわからないような、可能性の概念が入ってくる余地はないのである。

僕が人とのコミュニケーションで好きなのは、「合うかもしれないし合わないかもしれない」のような、よくわからない状態で色々探り合う工程である。予定調和的なカラオケ、飲み会、趣味の話は、当たり障りがなさすぎてやる意義を感じれれなくなってしまった気がする。

ただそれでも、予定調和的なコミュニケーションが実は重要で、お前はそれに気づいていない、という可能性も当然ある。ただこっちについては、正直全く共感できない(あるいは忘れてしまった)ので、また色々経験しないといけない気がしている。


よろしければぜひ