senry

言語学や哲学の道具を使っていろんなことを考えています。 エッセイでは駄々を捏ねています。

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マガジン

  • 大人への嫌悪

    大人になりたくない20代男子のエッセイ

  • 日常生活論考

    恋愛から道路標識まで、日常生活にまつわるさまざまな事象を論理的に考えています。

  • 創作

    フィクションです。

  • コミュ障だよバカヤロー

    コミュニケーションにおける違和感についてのエッセイ

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歩道側を歩いたところで女も死ぬだろ

「スマートな男性とは」 この質問から想像される男性像はどのような人だろうか。仕事で疲れた時に話を聞いてくれる人、常に多めに払ってくれる人、居酒屋でお酒を溢した時に女性の服が濡れていないかを気遣ってくれ、ハンカチをそっと出してくれる人。 スマートな男性が行う行為として、様々なものが挙げられるだろう。その中の1つに、「車道側を歩いてくれる」というものがある。2人で横並びになって歩いている時に、さりげなく危険な車道側を歩いてくれる、というものだ。 歩道側を譲るという行為は確か

    • 大人にがっかりしている

      これまでの人生で、大人に憧れたことがものの一度もなかった。憧れるどころか、重度の嫌悪対象だった。意志もなく働き続け、自分が取り囲まれる日常環境に文句を言いながらそれを改善しようとはせず、それでいて子供から批判されると現実をわかっていないと説教を垂れる、ただ力と金を持っただけの邪魔者でしかなかった。 大学生活を通して、大人への嫌悪はより強いものとなる。在学中に会ってきた大人は、どれもこれも自己中心的というかスケールが小さいというか保身しか考えていないようなやつばっかだった。バ

      • セックスエンドラン

        セックスが好きだけどロマンチストじゃない人と、ロマンチストだけどセックスがそこまで好きじゃない人がいる。前者は快感中毒なので、タイプの人とセックスできれば何でもよかったりする。風俗に一番ハマるのは多分こういう人。 後者は、セックスというよりも、相手との駆け引きとかデートの雰囲気とか、あまりにも形式的にサービスが提供されてしまう風俗では満たされない部分が、好きだったりする。 自分は明らかに後者ーーロマンチストだけどセックスがそこまで好きではない人ーーで、だからこそ風俗サービ

        • 「ヤレるなら誰でもいいんでしょ」

          「ヤレるなら誰でもいいんでしょ」 現実でもフィクションでも、恋愛的文脈においてよく聞く言葉である。下心丸出しでよってきた人(多くの場合で男)に対して、言い寄られた側(多くの場合で女)がこのようにいう。お前がみていたのは私自身ではなくヤれる対象だったのだろ、と。 僕は男なので、これを言われる側である。言われる側としては、そんなことないよ、君自身が好きだよ、とかなんとか、胡散臭い言葉を並べる。それでも良いのだが、たまに、「ヤれるなら誰でもいい」という文は、正確には何を意味して

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          「好きな人が女じゃなかった」の二つの意味

          「好きな人が女じゃなかった」という文には、二通りの解釈がある。第一に、話している人に特定の好きな女の子ーー仮にあやさんとしようーーがいたが、実はその人は女ではなかったという解釈。あやさんは、女のような見た目、話し方、生活をしているが、実は男だったのである!あやさんのことを女だと思って恋をしていたこの人は、戸惑いながら「好きな人が女じゃなかった」と友達に相談し出した… 第二に、自分の性的指向が女性ではなかったと気づいた際の解釈。ここでは、あやさんのような特定の女性は登場しない

          「好きな人が女じゃなかった」の二つの意味

          【書評】『ポストトゥルース』ーフェイクが溢れる世界をどう生きるかー

          ※長々と書いていますが、序だけで完結しているので、そこまで読めば大体わかります。 ポストトゥルース。日本語で丁寧に言い換えれば「真理の後の時代」。もっと意訳して言えば「真理のない時代」だろうか。 リー・マッキンタイア(Lee McIntyte)による本著作は、真理のない時代とは何か、なぜそれが生まれたのか、何も信頼できない世の中でどう振る舞えば良いのかが、哲学に縛られない豊富な分野の知見を援用して論じられている。 本記事では、本書の大筋を紹介した後、個人的に興味深いと思

          【書評】『ポストトゥルース』ーフェイクが溢れる世界をどう生きるかー

          今宵の月のように

          仕事であれ部活であれ、何かにひたむきに取り組めている人を見て、羨ましく感じることや、興醒めすることがある。どちらにせよ、これまで何にも打ち込めたことがない自分との距離を感じる。 好きなことがないわけではない。勉強もスポーツも映画も結構好きだ。勉強は人よりも能動的に、比較的広い分野に興味が持てるし、スポーツは観戦するのもプレイするのも好きだ。映画も割と見る方だと思う。 僕が映画好きだと言った時に、月何本くらいみるかを聞いてきてそれに答えたら、「あ〜そんなもんなんだ」とマウン

          今宵の月のように

          (お)笑いと男子校

          第19回M-1グランプリ決勝セカンドラウンド。ファーストラウンドを1位通過したコンビ「さや香」は、1票も得ることなく敗退した。実際、さや香のネタはほとんどウケていなかった。スベッていたというより、何がしたいのか伝わらなかった。 審査員7人は皆「令和ロマン」か「ヤーレンズ」を選び、4票を勝ち取った「令和ロマン」が優勝した。芸歴6年でのM-1優勝という偉業達成の瞬間に、誰もが圧倒されたことと思う。 テレビの残り中継時間は30秒ほど。そんな中、審査員の1人、山田邦子がこう言った

          (お)笑いと男子校

          大人になったらできること

          大人と子供という区分は、自分にとってかなり根深い問題である。自分の頭の中には、大人の典型例と子供の典型例みたいなのがいて、そいつらは基本的に仲が悪い。というか、頭の中にいる子供が、頭の中にいる大人を毛嫌いしている。 他方で大人の方は子供をどう思ってるかというと、大体の場合見下している。算数のテストで子供が100点をとったとしても、大人は、表面上は誉めているかもしれないけど、内心は、「子供にしては良くできたね」くらいにしか思っていない。見下しているのである。 自分の頭の中に

          大人になったらできること

          わたしたちの境界線は、はっきりしている方がいい。

          新宿駅で見たこちらの広告、最初に見た時は、何となくいい広告だなと思った。 ほとんど青一色で、空と山の境界線が曖昧な写真。さらにそれとコントラストを成すような、マーブル柄の服。絵として綺麗。 さらにより心を動かされたのは、「わたしたちの境界線は曖昧でいい。」というコピー。ルミネのコピーは結構好きなものが多いのだが、今回のものは特に目を引いた。他人と分かり合えると思ったのに、全くわかってもらえなくて傷つくような経験は、結構ある。そんな時によく、もっと曖昧で、私があなたで、あな

          わたしたちの境界線は、はっきりしている方がいい。

          表現できないということ

          今僕は、文章を書いて考えたことや感じたことを表現している。その相手は、自分でもあるし他人でもある。表現というのは、思考でも感情でも考察でもなんでも、内側にあるものを外側へと出すことである。その相手は、過去の自分、未来の自分、過去の他人、未来の他人と、誰にでもなりうる。 表現するということは、いろんな点でメリットがある。第一に、自分の内側に何があったのかを知ることができ、わからなさやモヤモヤとした感覚から解放される。さらにそうすることで、わからなさに起因していた恐怖や不安から

          表現できないということ

          ビジネスマンの胡散臭さは何なのか

          「胡散臭い」を辞書で調べると、次のように書いてある。 これは僕の脳内辞書なので、書店で探しても見つからないことは述べておかないといけない。23年の間、偏見という眼鏡を通して、東京に住む人々を観察して作り上げた、とても信用のおける辞書である。 どうやら胡散臭さというのは、「ビジネス」や「資本主義」と深い関係があるようだ。第二の意味を見てみよう。 ①の意味だけを考えると、手に職をつけた労働者が念頭に置かれているようだが、確かに胡散臭いのは働いている人に限られない。一種の洗脳

          ビジネスマンの胡散臭さは何なのか

          上昇嗜好―大人の〈嗜好〉と子供の〈好き〉の相違点―

          大人になりきれない逆張り野郎 タバコ、葉巻、ウイスキー、コーヒー、サンローラン、ブルガリ、グッチ、エルメス。これらは全て、暇すぎて生きているだけでは満足できない人間が作り出した、不用品である。時にこのような不用品は、贅沢品やラグジュアリーという異名でよばれる。このような贅沢品のうち、食べたり飲んだりすることができるものを嗜好品と呼ぶ。 僕は嗜好品やラグジュアリーな生活、そしてそれを好き好む人が苦手である。しかしその理由は、嗜好品が人間の生存にとって不要で、無駄な産物だからで

          上昇嗜好―大人の〈嗜好〉と子供の〈好き〉の相違点―

          医者「友達がいないことによるセロトニン不足です。友達を処方しておきます」

          「この症状はおそらく友達がいないことによるセロトニン不足です。友達を1週間分だけ処方しとくので、また足りなくなったらきてください」 あ、そっちなんだ。てっきりセロトニンが出るような薬がもらえるのかと思っていた。 「そっちなんだ」 声に出ていた。若医者がそれに反応する。 「そっち?あー薬はもう流行ってないんですよねー。なんか僕もよくわからないんですけど、薬で出すのより質が良いらしいです。副作用も少ないとか。まあ業界の流行なんでまた戻るかもしれないですけどね〜」 随分あ

          医者「友達がいないことによるセロトニン不足です。友達を処方しておきます」

          狂気も最初はシンデレラ

          狂気だって最初は、純粋無垢で可愛げのある姿をしている。最初は何の気なしに、ちょっとやってみたら意外と得意で、面白いな、好きだな、自分でもいいかもしれない、みたいな、日常にありふれたシーンだったりする。とっても純情。周りの人に褒められたり、勉強みたいに周りの人がよしとするようなことだと、なおさら自分を認めてくれた気がして、ますます興味が湧いてくる。 興味が湧けば、ちょっとやってみるだけにとどまらず、自主的に取り組んで、もっと上手くできるように、もっと人から褒めてもらえるように

          狂気も最初はシンデレラ

          STAND ALONE COMPLEXに責任は問えるか

          二つの仮想的な状況を比較する。 ケース1。 ケース2。 二つの状況の共通点は、Bさんが他者から精神的な苦痛を与えられ、それが原因となって自殺したということである。相違点は、苦痛を与えた主体が組織であるか、なんら関連を持たない個々人であるか、という点である。この相違点は、Bさんを自殺に追い込んだ責任について重要な帰結をもたらす。 第一のケースでは、反社会的集団Aへの責任を明確に問うことができる。一連の嫌がらせは、Bさんを排除したいという集団Aの目的のために行われたと考え

          STAND ALONE COMPLEXに責任は問えるか