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STAND ALONE COMPLEXに責任は問えるか

二つの仮想的な状況を比較する。

ケース1。

反社会的集団Aによる嫌がらせにより、ある個人Bさんが自殺した。Aは何度も執拗に嫌がらせの電話をBさんにかけたり、ポストに動物の死骸を入れたり、Bさんと近い人に悪い噂を流すなどして、精神的な苦痛を与えた。このような出来事が原因となって、Bさんは自殺した。

ケース2。

ネット上での不特定多数からの嫌がらせにより、Bさんが自殺した。Bさんはある発言でネットで多くの注目を浴び、それ以降不特定多数のアカウントや個人から、多くの誹謗中傷に直面し、精神的苦痛を与えられた。このような出来事が原因となって、Bさんは自殺した。

二つの状況の共通点は、Bさんが他者から精神的な苦痛を与えられ、それが原因となって自殺したということである。相違点は、苦痛を与えた主体が組織であるか、なんら関連を持たない個々人であるか、という点である。この相違点は、Bさんを自殺に追い込んだ責任について重要な帰結をもたらす。

第一のケースでは、反社会的集団Aへの責任を明確に問うことができる。一連の嫌がらせは、Bさんを排除したいという集団Aの目的のために行われたと考えられるため、集団Aへ全面的な責任を帰属することができるだろう。そして、集団AがBさんの自殺の責任を果たすためには、集団Aの代表が逮捕されたり、集団Aを解体するなどの具体的な制裁が可能だろう。そしてこのような措置が取られれば、今後同じ組織によって類似の悪行がなされる確率は大きく下がり、より良い市民社会の形成が望まれる。

第二のケースでは、第一のケースほど明確には、Bさんを自殺に追い込んだ責任を問うことができないと思われる。まず、誹謗中傷に携わった不特定多数はなんらかの組織を形成しているわけではないため、その中から代表を一人選んでその人が集団の責任を引き受ける、という形は取ることができない。不特定多数は、共通の目的があって誹謗中傷を行っているわけではなく、反社会的集団のケースほど簡単には、明確に自殺へ追い込む、ないし加害の意図を帰属することができない。

さらに第二のケースでは、悪行が組織立っていないために、仮に誹謗中傷をおこなった全員を処罰したとしても、同じようなケースが無限に生じることが考えられる。組織がなした行為については、組織が制裁ないし罰則を受ければ、組織が学習しその後は似たような行動を起こさないようになったり、そもそも組織自体が消滅することで、同じ主体によって過ちが繰り返されることは少なくなる。他方で、不特定多数による行為については、その一部に責任を問うたところで、彼らによる反省や学習がその他の人物に共有されることはない。せいぜい、ラッキーで今回は制裁を食らわなかった、程度しか望めない。したがって、第一のケースと比べて、第二のケースのような場合には、組織的な悪行の場合と比べてより良い社会への改善が困難となる。

第二のようなケースを、攻殻機動隊の用語を借りてSTAND ALONE COMPLEXによる悪行と名づける。

STAND ALONE COMPLEX (以下SAC) とは、以下のような現象である。

独立した個人が、結果的に集団的総意に基づく行動を見せる社会現象を指し、孤立した個人(スタンドアローン)でありながらも全体として集団的な行動(コンプレックス)を取ることを意味する。

Weblio辞書

第二のケースーーネットにおける誹謗中傷ーーは、この現象の最たる例である。独立した個々人が、独立した動機に基づいて集団的に同じ目的(Bさんへの攻撃など)に向かって行動している。ここにおいて、ネットの不特定多数を扇動するような特定のカリスマの存在はない。この意味において、第二のケースでの不特定多数による誹謗中傷は、SACであるといえる。

SACには、集団が持つ共通の目的や、集団を束ねるような先導者はいない。そしてまさにこれが原因となって、適切な形で行為の責任を問うことが難しくなっており、さらに、行為者間での学習が進まず、同じような悲劇的事件を導くことになっていると、私は考える。

追記
法律に詳しい方から、ネットでの誹謗中傷における責任の問い方について聞きたい。


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