見出し画像

「感情をコントロールする」の本当の意味

「感情をコントロールする」という言葉に何年も惑わされてきた感じがします。

社会の中で感情を表現することはNGとされていることが多いのはわかっています。いつでもどこでも感情的な人が批判されたり、煙たがられたりするのもわかります。

でも、周りがそんな環境だからと、自分の感情をダメと決めつけるのはやりすぎな感じがします。

なぜなら、私は自分の感情をコントロールするに惑わされすぎて、過去に自分が感じていることすら、感じないようにコントロールしてしまった人だから!笑


感情を感じるということと、感情を表現するということは別です。感情は自分の中で感じるもの、感情を表現することは自分の外側に出すこと。

でも、パートナーシップ・家族という安心の世界の中で、感情を表現することは当たり前に必要なことだと思います。それは、家族の中で大人であっても子どもであっても。

安心の中だから。

怒り狂っても泣き喚いたとしても、許されることを知っていくのがそうした近しい関係の中。それは、相手に許されることが目的ということではなく、本質の自分を出してもOKということを自分が学ぶ場ということ。

つまり、家族・パートナーシップのような近い関係の中で本質の自分を出せないとか、本質の自分を出して相手に煙たがられるなら、それは自分が自分の本質に対して許しを与えていないということ。

どんな感覚も、どんな感情も、自分の中から湧き出てくるものにダメなものは一つもない。それを学ぶのが、そうした近い関係性の中なのかもしれないですね。


ちなみに私は今は、感情を感じるし感情を表現します。私にとっては、感情を感じることと感情を表現することはほとんど同義です。感情を感じた瞬間に涙が出るし、怒りが出ます。絶対に表現したらダメ!という場所以外では、すぐに表現します。
(絶対に表現したらダメ、という場所があるのは、まだ私が私自身に制限をかけているということですね涙)

表現はなんでもいいと思っています。
怒る
泣く
叫ぶ
問い詰める
愚痴を言う
無視する

とにかく自分の中にあるものを、自分の外側に出すということ。

必ずしも相手は必要ではありません。

私はよく、悲劇のヒロインになってふて寝しながら、ひたすら悲しみの中に入って涙を流した続けたり、お風呂のお湯に潜って大声を出して怒りを発散したりなど、よくやっています。

メンヘラって「精神不安定で危ない人」って概念がくっついてるけど、感情の中に潜って自分の中でひたすら感じることをやり尽くして、それで抜けていくことを意識的にか無意識でか知っているからみんなメンヘラがやれるのかなと思ってる。自分のどんなネガティブな感情にも許しを与えているから「メンヘラ」と名乗れるのかもね。

そんなにみんなしっかりしてないし、大丈夫じゃないし、ちゃんとしてない。全然ダメダメダメな自分にもOKしたら結構世界が優しく見えたりするよね。

そんな自分にOKを出してたら、その後は自然と相手に感情を伝えることができるようになる。

そういう意味で、感情のコントロールの本当の意味は、

どんな感情を味わっても最終的に「自分がOK」と思える感覚の場所を知っている人だからできることだと思います。それは意識的にか無意識的にかは関係なく。

自分がOKと思えるというのは、光だけでなくどんな闇の自分(自己否定・罪悪感・無価値感・絶望・恐れ)も受け入れている・自己受容をしているということ。これは生まれつきできている人もいるし、人生の途中でコミットしてできる人もいる。つまり人生のどこかの地点からみんなできるということですね。

感情はキラキラ輝く人間しか持っていない宝物です。感情があるから、自分の好きと嫌いがわかって自分のオリジナルの人生を創っていけるの。過去の私のように、決して感情がダメだなんて解釈しないでね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?