禅の心は理解されない。

鈴木大拙、という人を知った。

鈴木 大拙は、日本の仏教学者、文学博士である。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教学者」。1949年に文化勲章、日本学士院会員。 名の「大拙」は居士号である。故に出家者ではない。生涯、有髪であった。※Wikipediaより引用

名言やら格言やら書籍やら沢山残されてる方。

出家者じゃないって所がいいですねぇ。

個人的な印象論ではありますが、出家者になろうがならまいが悟りを開いてる人は現時点で地球上にはいないはずなので、出家は関係ないと思っています。
決して美味しんぼの山岡さん的な超暴論ではありません。※詳しくは48巻位をご覧下さい

この鈴木大拙という人は行動もぶっ飛んでたりするそうで、コロンビア大学で講義をした際に生徒が待ち望む中、風呂敷に本を入れふらっと現れ、10分(17分説も有)ただ無言で直立で立ち尽くしていたという謎の伝説もあり、更にはそれを見ていたジョン・ケージ(スーパー実験的な音楽家。有名なのは4分33秒という無音の曲)が、「クエイカー教徒の集会でも経験できないような美しい静けさ」という発言を残すほど。

そんな鈴木大拙の名言などはこちら。

人間は偉くならなくとも一個の正直な人間となって信用できるものになれば、それでけっこうだ。真っ黒になって黙々として一日働き、時期が来れば“さよなら”で消えていく。このような人間を偉い人だと自分はいいたい。

われわれの一生というものは、なにも目を驚かして、偉い者になろうとか、なったとかいうところにあるのでなくして、日々の仕事をやることが一番です。

悩みの解決は矛盾を超越するところに見られる。人間は反省する、分別する、矛盾を見る、悩むとすれば、その矛盾を超越するより外に解決の途はない

我々は知性に生きるのではなく、意志に生きるのだ

と言った風に実に禅であり仏教の考え方を言語化しているのです。もう少し正確に言うと私好みの解釈をしているから、です。

私は仏教の考え方がとても好きです。
そこには教えはあっても強制がないから。
南葛サッカーです、キャプテン翼の。
(来る者拒まず 去るもの追わず)

最初に仏教の生まれた紀元前5世紀から今に至るまでに様々な物や技術が進化し、今の世界には当時考えられないほどの煩悩(娯楽等)が溢れかえっています。

しかし、変わっていないものもある。
それは「人」です。
いつまでも我々は愚かであると思います。

これだけの進歩を続けている、にも関わらず人は恨みあい、妬み、僻み、いがみ、傷つけ、殺し合う。

SNSを開けば様々なノイズにまみれ、自分達は誰よりも不幸だと愚痴り、人の失敗を見つければ地の底まで笑い貶める。

無音を講義の一内容として見せた鈴木大拙、
その影響をポジティブに受け止め4分33秒という曲に昇華したジョン・ケージ。

これからの我々に必要な概念は
「無」にらあるのかもしれない。

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