世の中が嫌い

人として生まれてそれなりの時間が経った.人として教育されて行く段階で世間に広まっている一般的な価値観というものを知った.そしてそれら価値観を構築している常識的な感覚というものを身につけた.一般的な価値観と常識的な感覚.それらを免許証のように持って私は今世間の入り口に立っている.でもどうしてもそこから前に進む気になれない.入り口から広がっている道は割と魅力的なんだとは思う.一般的な価値観の元では.でも私はどうすればいいのかわからない.嘘をついているという感覚を拭いきれない.それなりの時間を生きてきてわかったが,私は世の中に馴染むことができない.もっと正確に言うなら,世の中に馴染んでいる自分が好きになれない.要するに,世の中が嫌い.こんな風に糞どうでもいい考えに価値があると信じ込み,インフルエンサーの真似事みたいに一般に公開する自分を見て,心底気持ちが悪いと思う.多分私と同じように感じている人は少なからずいて,賛同してくれはするんだろう.でも私はそんなものを得たくてこれを書いてるんじゃない.認めて欲しいけど,認められた時点でそこは私の居心地のいい空間ではないっていう,進む先も逃げ出す先もないドグマにはまってしまった愚痴を吐き出し,鬱憤を少しでも晴らしたいだけ.私はどうすればいいのかわからない.世の中を嫌いながらも生きてきた人生はつまらなくはなかったし,楽しいこともあったと思う.でも,この歳になると,周りのみんながその世間一般にちゃんと馴染んで,そこで矛盾なく楽しんでいるように見える.他人と会話を交わし,価値観の共有を心から楽しんでいるように思える.でも,私はそこへ入り込むことができない.世間が嫌いだから.世間で流行っているものが嫌いだから.どうしても馴染むことができないから.自分を騙して入り込んで,うまくやろうとすることは出来なくもない.でも,それは違法入国して,自分の振る舞いがその国の法律を犯していないか,周りから浮いていないか常に確かめながら人生を閉じていくようなもので,決して気持ちのいいものではない.刑務所で生きているのと変わらない.一人で好き放題している時こそが,本当に自分の人生を生きていると実感できる.そんな自分が,とても悲しい.なんでこんな風になってしまったんだろう.人と同じことに幸せを感じられないのがこんなに辛いことだとは,小さい頃は考えもしなかった.こんな破壊的な人間を受け入れざるを得なかったコミュニティには,謝罪してもしきれない.

インターネットを見ていると,みんなが真っ当に世の中を,人生を楽しんでいるように見える.そして特に良いケースでは,世の中を楽しむことが自分の能力の向上や社会への貢献につながっている.でも,世間に馴染めない私はそうなることができない.世の中に意味のないことをして楽しむか,自分に納得できないことをする苦しみを抱えたまま世に貢献するかの二択しか持ち合わせていないように思えてしまう.そしてそんな私は,多くの場合で属したコミュニティの和を破壊してしまう.私はこの世に居場所がない.世の中が嫌い.



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