ふとったほね

 僕は僕なりに表現する言葉を厳選する作業が心地よい。割と趣味の範疇のような感覚で、半ば変態的にこだわっている部分である。

 こだわる部分であるから僕としては当然のように独りよがりな感覚で、そのこだわりを誰に理解されずともよいわけではあるが、折角noteという恰好の言い訳の場を得たのであるから、活用しない手はない。

 言葉を厳選する基準というのは、教科書的に正しいとされる日本語、というのが基準なわけではない。
 むしろ正確性が問われるのは、僕の伝えたい思いが言葉の枠に捉われて多少であれねじ曲がってしまわないようにする、といった観点からである。

 僕は小説や映画などの作品を、骨太な作品、と表現する事がある。
 しかし僕の思う「骨太」は僕以外の人の感性と比較したことが無い。実に勝手なイメージで「骨太」を使用しているのである。

 誰ともその意味をすり合わせる作業をしたことが無い言葉をこのように用いることで摩擦を生んだことは未だない。
 
 ただ一つ困ることは、この先に「骨太ってどんな感じ?」と誰かに質問されることがあれば、僕は盛大に口ごもる自信がある。
 けれど今の僕から「僕だけの骨太」を封印されてしまうと代替品を即座に見つけることは非常に難しい。困る。

 最後に僕が読んだ中で一番骨太だった作品を紹介して終わろうと思う。
 百田直樹先生『海賊と呼ばれた男』
 骨太とは何たるかをこの作品で学んでいただければうれしい。

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