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豚もおだてりゃ木に登ると言うけど

これは昨年末、海外旅行に一人で行った時、「褒める」ことを見直すことになった経験の話だ。

「Your shirt is really cool」

入国審査の列に並んでいた僕の耳に理解のしやすい平易な英語が聞こえ、その声の方向を一瞥した。

すると僕の方向を見て微笑む制服姿の金髪の女性がいた。知らない人に手を振られた時のようにどうせ後ろに人がいるんだろう、そう思って振り向いたみたがそれっぽい人は見当たらなかった。

どうやら僕に向かって言っているらしい。

もちろん面識はない、空港で働いているらしいその外国人女性は僕のシャツをなんの脈絡もなく褒めてきたのだった。
突然の出来事だったため喜びを感じる暇もなく、昔習った英語を必死に記憶の奥底から探しだし、なんとか感謝の意を伝えた。
驚いたことに女性に他意はなく、ただ思い立って人のシャツを褒めてみただけの様であった。

ただ目に入った他人を褒めてみる、日本では有り得ない光景に僕は入国する前にしてカルチャーショックを受けた。仮に入国できず強制送還されたとしてもこれは海外経験と言って差し支えない、とすら感じたのだ。

突然褒められる2回目の経験をその旅先ですることになった。

「その髪型似合ってるな」

座っていた僕は近くにいた男からいきなり声をかけられたのだった。

ところで僕はやや個性的な髪型をしている。一般的な男性より長髪で特に欧米にはあまりいないタイプの髪型だと思う。
物珍しさも含めて褒めたのかと思って男を見ると男は更に個性的な髪型をしていた。

ウド鈴木のモヒカン部分をパンチパーマにしたような髪型の男に僕は髪型をほめられたのだった。

「Thank you」を用意していた僕の口から「なんか違くね」という日本語が発されていた。

彼が個性的な髪型同士の友好と認め合いを示したかったのかは分からない。
別に嬉しくない訳でも無いし嫌な訳でもない。
しかし、手放しには喜べなかったのだ。
何故か全然センスが合わないと思っていた人が同じ小物を愛用していた時のような感覚を覚えてしまった。
失礼な話、LUXのCMに出ているような髪の人に褒められた方が嬉しいとすら感じてしまったのだ。

日本語を理解できなかったイギリス出身のリチャード(会話の流れで自己紹介された)に、「日本語でありがとうって言ったんだよ」と伝えた僕はその後、褒める事の難しさを考えずにはいられなかった。

褒め言葉を受けた側は、それが全くのお世辞であると双方が認識していない限り、善意とは別の意識を感じてしまうと認識させられた。
自分が認めていて、好意のある人から褒められたら嬉しいに違いないし、むしろ嫌悪しているか全然タイプの違う人から褒められた時はマイナスの感情を抱くこともあるだろう。
褒められたのに大して嬉しくなかった経験など誰にもあるだろう。
だが、タイプは違うとしても、褒め言葉に羨望の意が感じられた時は嬉しいと感じるとも思う。
例えば人の外見を褒めるにしても、自分は最小限の外見への気遣いはしておいた方が良いに違いない。

当然僕は街の見知らぬ人を褒めることなどしない。だが何気ない会話で褒め言葉を口にしようとする度に、あのモヒカンのリチャードが「その褒め言葉でいいのか?」、「お前はどう相手に捉えられていて、どう受け取られると思う?」とブレーキを踏んでくれる。

何気ない会話を見直す契機をくれたリチャードに感謝はするものの、僕はまた自然な会話が不得意になった。

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