熱量と共に生きる。

人間の体温、
35度から37度の間。

興味があるものと関わるとその温度は変わる。


35度になると、がんが活性化すると
よくきくが、
わたしの体感としては、
怒りは温度を上げる
寂しさは温度を下げる

がんがわかったときに
個性分析の講師から
「病気になったのはあんたが
あんたの思うように生きてないからや」といわれた
とても残念な経験がある

思い通りに生きることで
病気が生まれないなら、
医者はこんなに世の中に
必要とされないんじゃないかな
この人に分析された人で
病気と共に生きる人は
同じスタンプで押されてしまう
分析なんてあったもんじゃない

そして、わたしの固定概念や理想を
更新するときだと思った。

こんな人に出会ってしまうこと自体は
間違いだなと感じたから。

こんな考えをする人が世の中にいて
どうしてこの世界に生きていけるんだろう
しんどすぎるやろ、わかりあうことをあきらめてしまいそうになる。

すべてのとびら、閉じたくなる。

そんな中で、
熱量で車の窓が曇るような仲間と合宿に行ってきた。

体力も心配で
ネガティブな気持ちにもなってたし
免疫も低下してたので

ドキドキしてたけど、
やっとやっと願いが叶って、
話し合いたい事柄も
興味がある人物も目の前に現れて
どんどん熱量があがる。


肺の骨のところがいたむ
筋肉痛がある
睡眠不足
頭がとまってる

いろんな不調があっても
腹の奥から熱が溢れて溢れて止まらない

このまま、体が朽ちても仕方がない
人が生きるための喜び、
学びが体に浸透する喜び、
分かち合える喜び、
感情が躍動する喜び、

そうして生きる気力を取り戻す。

病気が治らず
ずっとだらだらとベッドの上で苦しむのに飽きたら
死がわたしを読んでいるのだと思う
そうして
このような人間臭い合宿を
日常に起こせないなら
わたしの胆力はこの程度ということだ。

さて、なぜわたしがいまいきているのか、
みものだ。


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