環境調整。

「当たり前」の違い

パートナーが咄嗟に出す言葉に
必要以上に傷ついてきた。
これは相性の問題が1番大きいけど
どこから手をつけていいかわからなかった。
相手を変えるのは本当に難しい。

まずは自分から、というが
自分のことは自分でよくわかっていないことが多い。

コミュニケーションの学びを
自分でも職業でもやってきたわたし自身も
そう思うのだから
関心がない人は 
自分がどんな言葉をつかって
何を当たり前としていきているのか
振り返る時間は少ないのではないかなとおもう。

ビジネスはわかりやすい。
利害関係があると、上司から注意をうけることもある。
無意識、気を抜いた、
気の置けない関係、
心地よさのなかに、何を含んでいるのかをみたとき
お金持ちも貧乏も
血縁の有無も社会保障もあってもなくても
環境調整によって生き延びることができる。


自分が自分に言って平気なことばを
他人にいっても平気だということと
自分は大丈夫だけど他人は傷つくかもしれないという
思考は、言葉だけでは伝わりにくい。

痛みの程度も違うし、
生命の際どさも違うので、
言葉でははかれない。

そんな人間同士がくっついて
一緒の家庭をもつなんてことが
言葉も足りなければ非言語もないなんて
表現がないなら伝わりようがないし、
態度でわかってほしい、はもっと難しいよね。


病気してよかったのは
パートナーの言葉かけがかわったこと

パートナーはもとから優しい人だった
だけど
その優しさの表現やタイミングが妨げられただけだった

本当にクズな人間って世の中に存在している。
それは見る目を養う必要があると思う。

これは恋愛関係でなくても
家庭やコミュニティで創造できる関係だと思う。
少子化のいま、血縁家族によらない、
信頼できる大人が増えることは、とても重要だと思う。


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