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無為に生きる二日目 断食。て言ってみる

無為に生きる・2日目。あんまりそんな感じしてないけどとりあえず宣言してみる。4月10日の電車はすこし息苦しい。Kvarty Fiveって人たちの演奏を聴いている。NHKの駅ロマンって番組で、スウェーデンだかノルウェーだかの暮らしを映像にしていたときに見た人たち。YouTubeミュージックで検索かけたら出てきた。すごくいい演奏だったからそこそこ人気があるのかと思ったら、まあYouTubeミュージックでというかYouTubeでの登録者はってことかもしれないけど、5人しかファンが見当たらなかった。それも僕にとってはいいことだった。

まあこのくらい書いときゃいいっしょ。300字。ってのは無為を見せつけすぎか?なんでもいいと言われてもよくわからないので、とりあえず、時間は無駄にしてもいい、時間を無駄にする期間を、機関ともいえるかもしれない、を作ることにした。

バイトの最寄り到着。やっぱしこの時間は外に限る。外にいると時間を無駄にしようのない気もするので難しいのかな。今日は午前でバイトをあがる。タイミーでもう少し稼ごうと思ったが、先週忙しくしすぎて鬱になったので、鬱の勢いを利用して今こうして過ごしてみている。暗いまま。そういえば俺は暗い奴なんだった、と昨日寝る前に思い出した。いつだか千葉雅也さんがそれは冷笑じゃなくて、根暗なだけだと思う。みたいなことをツイートしていて、根暗ってダサいことだ、人にそう見られるのは恥ずかしいことだというのが知らないところで内面化されてしまったらしい。未熟。俺は根暗なんだ。小学校5年生の、放課後の寂しさを埋めるために目立とうとしていた。でも保育園の卒業式だかなんだか、卒業証書的なものが授与されるときに僕は斜めすぎる側転で登場したけど、あれはなんだったんだろう。あれがただの明るさか。人と違うことがしたい?目立ちたい?探るなら今しかない。

レイトン教授は好きだった。一作しかやってないけど。魔神の笛。スマブラはみんなやってたからやっていた。3DSは買わなかった。モンハンのフォースはできなかった。そのへんから、身の回りの友達の流れに反してでも、って意識が芽生え始めた。

すごくしっくりきている。今回の気づきに。初めてだと思うがなぜだか久しぶりに、と言おうとした、自分を下げて笑いをとるためにではなく、俺が暗い奴だと言葉にした。あるいは陰キャ、とかそういう言葉、言葉ですらないスラング、記号を使って、本質的な暗さから逃げていたのかもしれない。ほんとうに、ガチで暗いやつはダサいから、そうではない(ことにしたい?)。

本質的な、っていうと汎用性の高い、誰もが向かうべき真理のようなもの、ここではつまり「正しい暗さ」という意味に思えるけど、そうではない。俺だけにとって正しい暗さ。他の誰にとってもそれはちょうどよくない。

お疲れさまです!早上がり。予定されてた早上がりです。明日は2時間伸びるらしい。ほらきた。こいつで今日、センスの哲学を買うぜ!偶然、今日我慢の限界がきて、知らんどうせ月の後半けっこう入れてお金余るやろ!と無為の身体を利用して買っちまおうと思っていた。でもビビってはいた、今日か明日あたりに4月後半のシフトが出るだろうからそれを受けて判断するのが確実だとも考えてはいた。でもいま無為だから。この魔法は、俺まだ25歳だし、に似ている。誰かから許されるわけではない。ひとつボタンを外す感覚ともちょっと違う。適当な例えが思い浮かばない、各自、俺まだ25歳だし、といま無為だから、って言葉を聴いて想像してみてほしい。

勝手に広告も作った。

今日はもう22時にはおやすみの体勢に入る。4時に決戦が控えている。ダメもとのラウンド8とはいえ、勝ってほしい。絶対勝ってはほしい。ヤマルとクバルシをこの大舞台で、パリサンジェルマン相手にどう振る舞うのか、見られるだけで至福の時間であることは間違いない、はずなのだ。だのにも関わらずどうしても勝ってほしい。パリくらいなら粉砕してもおかしくないと、フェルミンとカンセロの守備の軽さとフェリックスラフィーニャ、それでいえばヤマルもだが、彼らの決めきれなさに目をつぶって、これまでのそれらは今から観る試合にはなんら関係がないものとして、彼らの才能を抽象的にみて期待してしまっている。これだけサッカーの上手い奴らがいたら、勝てるやろと。まあ、一生観たいからあんまりやり過ぎないように。サッカー中心の生活も、ピンポイントでやるのはいいが、というか続けようとしたら体がもたないが。だんだん俺が体を慮ることを積み重ねてきて、その度にサッカー中心の生活、サッカー中心のテンションのサイクルからは離れていく。もの寂しさはもうない。みんな、一緒にサッカー見てたやつらは社会人になって言わずとも観るチャンス自体減ってきているし、こっちはすげえ暇だがおかげでネットのクソガキ(こどおじ)フィルターを徐々にカスタマイズできてきているし、なにより、どうせ死ぬまでバルセロナを見続けるのだから。クバルシ!クンデ!頑張れ!お前らだぞ!今のバルセロナの魂だ!

寝る前に、今何がやりたいか考えてみる。最後に、体を楽にしながらも悩んでみる。本は読めない。もうグルグルしちゃってるから、頭がというより心臓の近くで血流が。ビールをちょっと飲んだからかな。それにしても食べ過ぎている。俺も断食しようかな。腹減り過ぎるとバイトの帰り道クソしんどいんだよな。逆にいえば混んでいる電車に乗って、1時間半もかけて家に帰るような道のりが後ろに控えていない限りは俺も断食ができるかもしれない?朝食わないのは不安だ。昼も。昼はいけるかもしれない。実際に、旅行で食い過ぎた翌日の勤務なんかは昼飯を食べない。余ったプリンをもらったりはするけど、2回やったことがあるうちの最近のほうではおかしすら昼は食べなかった記憶がある。朝は、朝も食ってなかったはず。すると夜もいけそうな気はするが、いくらなんでも食わなすぎだ、と自らに気を遣うつもりで飯を食う。腹が減っていたと思い出したのかガツガツ食える。しかしある瞬間までは、別にこれなくても平気だな、と思いながら食っている。明日、おにぎり減らしてみようかなあ。おにぎりを減らす必要はないか。おにぎりは持っておく。腹が減りすぎてお金を使うことにでもなったら大変だ。お菓子で調整するか。朝飯は食わなくていいのかもしれないが、パンが好きなんだよな。んー。昨日の残りの、じゃなくて今日ラップしておいた味噌汁と取り分けた香味野菜、これだけでいいかも。なにも腹にいれないとエスプレッソ抽出係になったときに怖い。でも、やってみたいな。明日断食することになったらワクワクする。ならば、今やっている暗いまま過ごす、時間を無駄にする、無為に生きる生活と一緒だ、とりあえずやる、と言ってみればいい。やっている。と思いながら生きればいい。それがセオリーになる。やばかったらだって、食えばいいだけ。お金は使いたくないな。そうじゃなきゃいけない、って状況を作って自分をいじめるのは好きじゃない。それじゃ楽しくない、ヒリヒリはするかもしれないけど、ヒリヒリして楽しくないと。だからおにぎりは持ってく。でも2つ持ってったら、食わないともったいないってことになるかな。ひとつにするか。ここはリニアにいこう。おにぎりをひとつ持ってって、朝飯はパンなしで、味噌汁と香味野菜のみ。パンなし、昼はおにぎりひとつ減らす、これだけでもう断食でしょう。あとはカフェインを取りすぎないようにしつつ、豆乳変更でタンパク質をゲットするのはいつも通り。効いてんのかは知らんが腹は壊しづらくなる。牛乳、スチームしたミルクをたまに味見するとめちゃくちゃ美味しくて、俺牛乳好きだなってなるのに、ラテを前にするとうろたえる。多いからだと最近気がついた。あんなに牛乳飲んだらお腹壊しちゃうよ。一番少なくて220とかだもんね。260のときもある。ココアはあまりアイスで飲まないから、最低ラインがそのへん。ココアは200。スタッフドリンクはフル活用しよう。帰りの電車だけが怖いなー、やばそうならプリンや、あとパウンドケーキの切れ端も今日大量発生してたから食べられるし、フルタイムだけど明日は断食に適してもいる日だ。明後日は八丁堀で飲み会があって、土曜日はレミちゃんの実家で久しぶりに夕飯とお酒をご馳走になる。1日、ダイエットはいま要らないが、断食をする。お、22時のため消灯。電気だけ消す。こちらも。

暗いところでスマホとか見てると目が悪くなるってのは嘘らしい。目さえ閉じていれば寝ていることになる。このへんは僕に都合のいいハックなので、根拠とかお構いなしに信用している。こいつらがいると俺、より自由に動けるし。あと目閉じてると寝てることになるやつ、横になる、に変えてもいい気がする。あと消灯。だから二つはセットにもなる。さっさと寝れなくても電気さえ消しとけば、あとは俺の認識の問題で、6時間消灯した部屋の中で横になってさえいればいい。6時間どうしても寝たいのならということだが。

ジャズがいいね。いま流れてるのはオスカー・ピーターソン・トリオという人たちの曲。このまえ恭平さんが自分で作ったのか、いま思えば偶然プレイリストを見つけただけな気しかしないけど、「For Anyone That Knows You」ってプレイリストのリンクをさらっと共有していて、ガチオタの俺はおやアルバムじゃなくてプレイリストですか珍しい、とすぐ気がついちゃうのでアップルミュージックのサブスクを契約しようとするが、経済面で折り合いがつかず、今入ってるYouTubeミュージックで、自分の手で同じプレイリストを、作ることにした。そのなかにあるキース・ジャレットのパート7というやつがすっごく好きで、読書や書くことを一切妨げない音楽はこれと、これを起点に流れてくるおすすめ曲やプレイリスト内の他の曲か、キョーヘーサカグチのサウンドクラウドにある楽曲くらいのもんだ。貴重である。さすがにキョーヘーサカグチだけだと、いくら透明感があって水みたいに体を通過していくものだっつったって飽きを感じていま聞きたくないなとくに、って時間は生まれるので、そういうときにお世話になる音楽が見つかってよかった。

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