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被害者非難と加害者擁護

女子高生コンクリート詰め殺人事件の詳細を読んで。
そもそも私はこの名称そのものが侮蔑的な感じがしてあまりよくないと思う。「女子高生」という言葉自体、この国では小児性愛のシンボルだし、尊厳がいかに壊されたかということに関して無頓着だ。せめて「女子学生」がいい。他にもおかしいところはめちゃくちゃあるけれど。
事件の詳細について、前から気になってはいたものの、その詳細を今日知って唖然とした。被害者の尊厳を踏み躙り尽くす行為、残虐性の強さに言葉を失った。想像も付かないほど、どんなにか苦痛だったことか。ただただ、ご冥福をお祈りします。

比べられない程レベルは違うと思うけど、私も母や兄に苦しむ様子を見て笑われたことがある。自分が苦しむ様子を人が喜んで見ているという状況は、本当に辛く苦しい。なぜそんなに人を苦しめて喜べるのか、理解にも苦しむから。まるで悪魔だ。
より悪魔だと思うのは、周囲で安穏とした暮らしをしておきながら被害者を救おうとしないどころか逆に被害者の落ち度をあげつらう人々。「そんな服着てるから」とか、「自分から誘ったんじゃないか」とか。
「被害者非難」といって、学術用語にもなっているらしい。
「ちゃんとした暮らしをして気を付けてる自分ならそんな目に遭わないはず」と安心したいから、という心理があるかもしれない。
が、被害者はもう既に現実の被害に遭っている。恵まれた者が自分のちっぽけな不安のために被害者をさらに傷付けるなんて、最低だ。

で、それ以上によく見られるのが「加害者擁護」。
「犯人もかわいそうだったから仕方ない」「本当はそんなことしたくなかったはず」
じゃああなたは加害者と一緒に暮らせるの?と聞いたら、確実にノーだろうのに、すげー無責任。
こっちについては傍観者が何もしないながらにして「他人の事情を思いやる優しい自分」をアピールすることが出来る、とても卑怯な手。その上、被害者の被害を矮小化する、酷い思考回路だ。

ただ被害者の立場に立って痛みを想像し、共感すること。簡単なようで難しいけど、私たちがすべきなのはこれだと思う。

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