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キラキラ育休

無理である。
冒頭から、無理である。断言できる。
生きているだけで、生かしているだけで精一杯である。

育児中、考えることは多く、考える時間は少ない。決定することは多く、実行する時間は少ない。大人しかいない生活に存在した日々のちょっとした用事の締め切りは一日単位、数時間単位、もしくは数分単位に訪れるようになった。

子供がお昼寝してくれたって、いつもより早く寝てくれたって、まずは積み上がった負債を解消するところから始まるので、プラスアルファ何かを積み上げるところまではたどり着かない。

決して止めることなく日々を営んでいくためにまずは自分の健康も大切である。なにかやりたいことがあっても、ぐっとこらえて休息に充てる。ほんの少し夜更かしすればできるかもしれないことを諦め、とにかく眠る、休む、食べれるときに食べておく。

たまに、本当に外せない用事のためにパソコンをつける。そんな時に限って、ベビーベッドを見ると寝かしつけたばかりの子供と目が合う。なぜか立っている。放っておいて自分で寝直してくれる望みゼロである。

再度の寝かしつけに手こずって、結局パソコンの電源ボタン以外のキーのひとつにも触れず、ログインすらできずに、私も力尽きてベッドに倒れこむ。今から確定申告の書類まとめは無理。煌々と明るい画面なぞ見ていられない。えらい国会議員に倣って私も今年の納税はしないと判断した。

そんな状況ではあるが、日中ふと思う。
私の母も、私の祖母も、この子に触りたくてたまらないんだなと。

実家遠方とまでは言わないが、ひょいと出歩くような距離ではないし祖母は90代だ。100まで行きそうな気配はあるが、それでもあちこちがたはきている。私が子連れで向かうのもなかなか億劫なのがわかっているので、向こうも会いたいなどとは言わない。私はせめてもの罪滅ぼしに、毎日せっせと子供の写真を送っている。

ふわふわでむちむちのペンギンボディの赤ちゃんに、家族はきっとみんな触りたい。でもできない。そう思うと、自分の食事がまともにとれなくて、肩こり腰痛腱鞘炎睡眠不足の毎日も、この子に会えないみんなより恵まれていて誰より幸せなんだろう、とようやく気持ちの持っていき方を掴んだ。

この日々も、あと1カ月。4月からは保育園である。髪はぼさぼさ背中はバキバキだが、せめて思い返した時にはキラキラした日々であるように過ごそう。


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