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やさしさのプロ

出張帰り、搭乗締切ぎりぎりで飛行機に乗った。
自分の席の上の棚を開ける。いっぱいである。隣を開ける。ここもだめ。案内してくれた乗務員と共に周辺の棚を探し、5列以上後ろでようやく見つけた空スペースに、背伸びをしてボストンバッグを入れた。

伊丹空港到着。シートベルト着用サインが消えると同時に、あちこちからカチャッ、カチャッ。多くの人が席を立つ音、荷物棚の扉を開ける音。まだ飛行機の出口は開けられておらず、時には10分以上も立ったままになるのに、大阪は特にせっかちだ。普段通り、人の流れが途切れるまでは座席で本でも読んでいようと思うのだが、今日は通路側の席のため勝手が違う。私はどうあれ、隣の人は一秒でも早く外に出たいかもしれない。

しかし、私の荷物は5列も後ろの棚の中。そこまでの通路は既に人でびっしり埋まっている。逆行するのは至難の業だ。見ると棚の中には、私のバッグだけが残っている。お前そんなハードボイルドな孤独感を纏ったバッグだった?

ハードボイルドバッグの近くにいた男性が、私を見た。声を出さないまま、彼の口が何かしらの言葉を形作る。私とバッグを指さして、それから彼自身の胸を示して、彼は私のバッグを棚から降ろした。
えっ、持ってきてくれるの?
3分ほど経って飛行機の扉が開いたらしく、人が流れ始める。私のバッグを持った男性が近づいてきて、笑顔で、ひょい、と渡す。動きがスマートだ。
「どうぞー」
「あっありがとうございますどうもすみません助かりました」
受け取る私にはまったくスマートさがない。口調がオタクっぽい。
人の流れを一瞬たりとも滞らせず、彼は私の前を通り過ぎて行った。私はどんくさくまだ列に入れない。


第三者的に、あるいはもっと他人行儀に見ていれば、何でもないことかもしれないが、感動してしまった。出張帰りである。疲れている。赤の他人である。染みたのだ。出張報告書に書こうとまで思った。さすがに書かなかったので今ここに書く。

ちょっとした親切は簡単であるかのように言われる。例えば学校やら、公共交通機関や行政の啓蒙ポスターやらで。けれど、難しい。
だって、相手がそれを望んでいる確証はない。
それを望んでいるけれど、お前からは欲しくないと言われる場合もある。
下心があると決めつけられることもある。
前述の話だって「オッサンキモイと言われて傷つくのはイヤだ」とか「普通の親切を、恋愛感情と誤解されたら困る」とか考える人もいる。
金銭のかからない親切にも、勇気というコストがかかる。普段しない行動をする勇気、そんなの欲しくなかったと言われても気にしない勇気、他人とかかわりあう勇気。

恐らく彼はやさしさを発揮し慣れている。上手だった。
誓って言おう。イケメン免罪などではない。彼は普通より少し表情が明るめのおじさんだった。彼はきっと、やさしさのプロである。

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