見出し画像

Right, there is nothing …… 021

_ハンドグリッパー

 彼は握力が異常なほど強かった。

 缶ジュースを飲み終えると、ぐしゃっと手でプレスし、それを自慢げに私に見せるようなところがあった。クラッシャーだ。

 一方、私の方はというと、握力はたいしてなかった。アームレスリングはけっこう強かったというのに。だから、たまに手に持ったものを知らないうちに落下させることもあった。

 そういえば、以前、笑える出来事があった。

 帰宅途中、前を歩いていた男性が何のまえぶれもなく右手に持っていたボストンバッグをボムッと道路に落下させたのである。

 中に何か重いものを入れていたのだろう、アスファルトを打つ、にぶい音がした。

 その、ふいうちの出来事に私は思わず笑いそうになった。

 手荷物を置き忘れることはあっても、ボムッと道に落下させることはそんなにあることではない。

 男性は何事もなかったかのようにボストンバッグを拾い上げ、すたすたと歩き去った。

 ハンドグリッパーというものに初めて出合ったのはいつのことだったろうか。おそらく小学生、いや、中学生の頃だったろうか。

 キュッ、カチャ、キュッ、カチャ、とやっては、握力がついたと喜んでいた。しかし、数日経ってまた元の握力の弱さにもどるといった感覚は、いま思い出してみてもなんともいえないやりきれなさに満ちている。

 ガチャガチャで、ハンドグリッパーの超ミニ版みたいなのがあったのをみなさんはご存知だろうか。

 人差し指と親指の先でキュッ、キュッとする感じで、かたちはハンドグリッパーそのものだけれども、もちろん、どこかの筋肉を鍛えたりするものではなく、ほんとうにただただ小さいだけのものだった。

 実際のハンドグリッパーにしたところで、私にとってはほとんど用なしなのだけれど、しかし、たまに手にとっては、キュッ、カチャ、キュッ、カチャ、とやってしまう。いったい、そのようなハンドグリッパーというやつは、なんなのだろうか。

 でもでも、私がおじいさんになってもベッドの上に転がっていそうでこわい。

 ほとんど使われることはないというのに、たまに使われるためだけに、まるで友情をたしかめ合うように強く握りしめられるためだけに。そうか、ハンドグリッパーは愛に飢えているとも、考えられるではないか。

2010年2月5日 セサミスペース M (Twitter


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?