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繁殖するストロングスタイル

◆◆◆この記事は、2023年2月1日に書きあげたものです。(この後まさか新日本で始動した新ユニット名が“ストロングスタイル”になるとはつゆ知らず…)そのときのまま補足・修正せずに公開させていただきます。◆◆◆


‘22年10月1日。アントニオ猪木がこの世を去ったその日から、人生で何度目かの「ストロングスタイルとはなんぞや」という疑問がまたもや湧き出し、それに対しての自問自答が始まりました。
ストロングスタイル、とは。
怒り。緊張感。殺伐さ。伝統的な技。ショーマンシップの対義語。
格闘技世界一決定戦。異種格闘技戦。UWF。総合格闘技。MMA。
これらがストロングスタイルだろうか、とざっくりと文字にして頭に落とし込んでみたのですが、納得できるようで足元がふわふわして決して居心地は良くありません。

私がプロレスに出会ったのもアントニオ猪木というプロレスラーがいたからこそ。全てのきっかけです。あの人の明確で爽快、ときには殺気に満ちた表情や所作、その唯一無二である闘魂というオーラに魅了されました。
ですが、プロレス特有のリアルとフェイクを行き来する人間ドラマに惹きつけられたのであって、ストロングスタイルという当時から抽象的だった幻想に憧れてこのジャンルに惚れ込んだのではないのです。なので、真逆とまでは言わずとも猪木の神髄を単なる「ストロングスタイル」とだけで呼称することに少し抵抗があります。
観客に強さを見せつけることよりも、選手のこれまでの背景、勝者と敗者、その先の展開が読めない意外性のあるドラマ、こういう部分に嵌った私としては、猪木がどれだけストロングスタイルを打ち出したところで、琴線に触れる部分はそこではありませんでした。むしろ、それを武器にした“アントニオ猪木”というひとりの選手としてのキャラクターがその当時のプロレス界でどう表現し自己主張していくかに興味がありました。

そもそも猪木は自ら「ストロングスタイル」という言葉をほぼ発していないはずです。一番使用すべき大事なシチュエーションである新日本プロレス旗揚げ戦の挨拶でも「力道山先生の意志を継ぎ、真のプロレスに励んでいきたい」という表現でした。きっとストロングスタイルという言葉は、論ずる側がプロレスを神格化するために持ち出すワードで、’80年代から見始めた自分の記憶では猪木自身の口からそれを聞いた覚えがありません。対戦相手への威嚇や試合への煽りの武器にはしていなかったはずです。もしも本人に直接その件を質問していたら、興味のないような真顔で「ストロングスタイル?知らねぇよ。」と一掃していたことでしょう。

猪木の肩には常にストロングスタイルという言葉が乗っかり、ファンもそのフィルターを通して見ていたのは、モハメド・アリの挑発に端を発した数多くの異種格闘技戦、素行不良な外国人選手やこれから売り出す若手有望株をプロレスの枠を超えて叩き潰した俗に言うキラー猪木、釘板デスマッチや1vs.3やIWGP構想など変則的で規模が大きい試合、こういった戦いに「強さ」「怖さ」「緊張感」があったからでしょう。
生涯通じて一貫していましたが、猪木の願いと野望は「プロレスを多くに人々の心に伝わるジャンルにする」ことでした。そのためには馬鹿にされないこと、即ち強さを見せつけることが必要。その戦略はやがて「世界最強はプロレスでありアントニオ猪木」というイメージとして膨らみ、いつしかストロングスタイルというワードで形式化され、その言葉と共に世間にもその名が知れ渡ります。

ですが、改めて過去の主な試合を分析すると、猪木のプロレスはアメリカンプロレスの流れを踏襲した見事なまでの勧善懲悪スタイルです。猪木が頻繁に口にしていた「風車の理論」というのは言うなれば「受けの美学」。相手の技を受けることで自身の力を蓄積させ最後に渾身の必殺技で勝つというのは、相手の良さを極限まで引き出し持っているもの以上に光らせ、そのうえで観客が求めていた強さを発揮して試合に勝つ、というのと同じことでした。
‘95年4月、もはや伝説の北朝鮮での平和の祭典。一般世間への話題性、その特異過ぎる環境、38万人という未曽有の大観客、これらの条件がそろった状況で見せる試合。ここで猪木が相手として指名した選手が、これまで全く試合で絡むことがなかったアメリカンプロレスの代表格でもあるリック・フレアーだったことはとても分かりやすい事例だと思います。そう、ストロングスタイルの真逆に位置する選手です。
猪木も光り、フレアーも光り、プロレスを知らない文化圏の人たちでも楽しめる単刀直入な戦いの構図、誰もが楽しめる娯楽としてのプロレスという競技性。それをひと試合で印象付けるには至極真っ当な相手でした。そして、思惑通り大観衆は熱狂しました。
マシン軍団や海賊男、巌流島決戦にたけしプロレス軍団、短期間で頓挫させた世代闘争もそうですが、現役生活終盤にファンから批判の的にもなった突飛な発想も、強さだけに焦点を当てただけスタイルでは実行できなかったはず。
いかに観客を驚かせ掌の上で踊らせるか、いかに世間の発想を超えていくか、それが猪木イズムの本質であると思います。
猪木が作る世界観の中に存在する”アントニオ猪木”という選手は「世間に届かせる」ために「強さを追求した」プロレスを掲げていました。それが猪木のプロレスラーとしての表現方法と自己主張でした。
全世界、全世代、全世間の多くの人々にまで届くように猪木が全力で投げつけていたのは「プロレスこそが最強の格闘技=キング・オブ・スポーツ」であって、決してストロングスタイルの重要性ではないということは、亡くなられた今だからこそ考えることができた自分なりの猪木イズムというものへの落としどころです。
怒り。殺気。緊張感。説得力。それが一般的に捉えられる「ストロングスタイル」なのでしょう。ただ、現役時代を通じて私が見ていた猪木は、強さだけではなく、相手にも観客にも、そして世間一般層にも届かせる「強さを啓蒙させるプロレス」でした。
本当に強いのか。ではなく、いかに強さを見せつけ納得させるか。それがプロレスです。
この特異な表現方法に基づく競技だからこそプロレスというジャンルに嵌ったのでしょう。

では、ストロングスタイルは猪木でしか名乗れないものなのか。ストロングスタイルは猪木だけのもので、闘魂なき今ストロングスタイルは絶滅してしまうのか。
今も現役として猪木の遺伝子を受け継いだといえる多くの選手が活動しています。
そして、その遺伝子を持つ弟子から教えを受けている選手たちがたくさん育っています。所謂、孫弟子と言うべきその多くは、猪木から直接指導される以前に見る側としてでも大師匠の全盛期を体感したことのない選手です。
それでも、ストロングスタイルが生き続ける理由。
ファンはこう言います。
唯一、猪木と藤原とゴッチの遺伝子を継ぐ鈴木みのるこそがストロングスタイル。
小細工せずに真正面からぶつかる戦い方だけではなくその生きざま、柴田勝頼こそがストロングスタイル。
1.21横アリでオカダと清宮から生まれたあの殺伐した熱気こそがストロングスタイル。
団体同士の威信を賭けた団体対抗戦こそがストロングスタイル。
1.4ドームでケニーとオスプレイが見せた過酷な技の応酬こそが現在のストロングスタイル。
DDTの中で強さを誇示してきた樋口和貞や天龍プロジェクトで開花した渡瀬瑞基のようなゴツゴツした試合こそがストロングスタイル。
血を流し肉体を傷付けるのは生きて帰るためという葛西純の観客一体型狂乱デスマッチこそがストロングスタイル。
ご多分に洩れず、多くの人が多くの意見を持っているはずです。そして、これら全てが正解で正論です。ストロングスタイルは絶滅どころか多種多様な形で増え続けています。
ただ、他の試合も選手も含め、全ての試合、全てのプロレスラーがアントニオ猪木と同じく
「多くの人々の心に届くジャンルにする」
という理念を持っていること、これは全てに共通しているはずです。

ストロングスタイルとは、プロレスに関わるすべての選手が持っているもの。
各々の武器で、各々の個性で、各々の強さで、自分というものを晒し出して相手とも観客とも世間とも戦う気持ち。芯が太く根が深く何事にも曲げない己の精神力。
それがストロングスタイルであり、プロレスラーが常に方に抱えている必要なもの、ではないでしょうか。そんな結論に至りました。
言葉で飾るものではない。アントニオ猪木が起源となり、プロレスというジャンルに多様性が生まれた現在、縁も所縁も関係なく、戦い方や表現方法に関わらず、プロレスへの愛情とそれを信じる強さがあれば自然とにどの選手の肩にも乗っかるもの、それがストロングスタイル。このプロレスという競技はどんな方向でも戦う精神を忘れてはいけません。猪木さんだけでなく、そして誰のものでもなく、全プロレスラーに持ち続けて欲しい肩書きです。
なので、これからの未来、プロレスラーの数だけストロングスタイルは無限に増え、膨らんでいくのです。

こうして思考を巡らし、休息するかのように頼りなくとも居心地の良い着地点へと辿り着けたのですが、ご存じの通りプロレスという文化は日々進化する文化。好みも評価も捉え方も考え方も人それぞれです。そして結論を出せないままプロレスより先に人生の試合終了を迎えるもの。プロレスは永遠の勝者です。なので、自分の中の結論だっていつか、もしかしたら明日にでも変わってしまうことだってあるでしょう。
今後、きっとまた「ストロングスタイルとはなんぞや」という疑問が湧き、それに新たな答えを出すべく、この着地点から飛び立っていくに違いありません。プロレスに安住はありません。だから今日も見て知って考えるのです。
もしまた飛び立つときも必ず、この言葉の起源でもあり、自分の礎でもある、あの人の試合、あの人の殺気、あの人の顔を思い出します。
きっと猪木さんだったら興味のないような真顔でこう言うでしょう。
「ストロングスタイル?知らねぇよ。見つけろ、テメェで。」


~おしまい~

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