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【映画】ジュディ 虹の彼方に(2021年11月1日)

働く若い女性、学生時代に勉強やスポーツを必死で頑張ってきたまじめで頑張りやな女性にみて欲しい・・・。とてもいい映画だったし、アカデミー賞は当然(歌手の半生をいい感じに歌えばアカデミー賞、みたいに嘲笑する類のものではない!)。

映画批評についてそこまで詳しくないけれどやっぱり男性が多めなのかなあ、と思うのはこういういい映画をみた時の世間での評価と自分の感想が合わない時だ。
といいつつ、自分も映画通の友人から「意外と面白かったよ」と勧められるまで食指が動かず、開始10分ほどでなくとは思わなかった。そこからもう泣きっぱなしで、冷静に見終わることはできなかった。今思い出しながこうしてメモを取っていても泣けてくるくらい・・・。

成人したジュディ・ガーランドが、子供の養育権をかたくなに手放そうとせずかつ歌手生活も順調とは言えず、常に体当たりで傷ついて生きている様子が、「子役」として搾取されてきた過去の回想シーンと交互に描かれその背景を説明している。

失敗するチャンスは子供の特権だ。いろいろな支流を持っていることは成長したときに大きな川になる可能性を秘めている。だが、特別な才能を持ち早くからそれを見出された場合、最初から大きな川とみなされた場合、実際の川幅に対して多くの水を流されてしまった場合、悲劇が想像される。

ジュディは子役として働かされ続け、あげく薬物依存にもさせられていたことは知られている話だが、その事実のセンセーショナルな面よりもむしろ、ここまでとはいわなくてもこのような親や周囲の期待に過剰に適応しようとしてしまうけなげな子供時代を送るという苦しさは、普遍的な想像の及ぶ範囲と言えると思う。親に喜んでほしくて親が勧めるスポーツでいい成績を取る、勉強に励む、喜ばれる言動をする、というのはよくある。

加えて、女の子の場合だと、「かわいい」「お勉強ができる」「スポーツができる」「太っていない」などの”良い点”があると、裏返しに「かわいいだけ」「勉強ができるだけ」「運動ができてもねぇ」「細いけど胸がないじゃん」となり、さらに加えて「愛想がある/ない」「料理がうまい/苦手」「気が利く/利かない」と、社会的にもどんどん評価ポイントが増えていきどこまでも際限がないような絶望感に襲われる。(個人的には、髪の毛サラサラ問題、肌キレイ問題、体毛問題、生理重い軽い問題、身長ちょうどいい問題、歯並び問題、など「かわいい」の一言で内包しきれない”身体”課題が、男性に比べてやはり多いかつ複雑じゃないかと思っている。どのポイントでも”ちょうどいい”を求められるという無理ゲーというか。)
大人になるとさらにここに「仕事ができる/できない」という軸が大きく加わる。生活のためにもやりがいのためにも仕事はできたほうがいいに決まっているのだが、「女性」の場合、仕事が出来ても出来なくても何かしら、ある。共働きが当たり前になっている時代とは言え、日本に住む女性が異性と結婚したいと思った場合、「私が稼ぐから安心して!」と言い切って、果たしてモテるのだろうか。いまだに女性の方が昇進や昇給が遅い会社なんてざらにある。ちょっと長くなりそうなのでここでやめる・・・。

などなど、子役としてスタートして数々の「無理ゲー」を強いられ心身ともにボロボロになりながらも必死に生きるジュディの姿が、単に「有名な人の半生記でお涙頂戴」、ではなかったのですよ、レニーという女優が演じることによって。

子供のころからず~っと誰かと比べられて生きてきたジュディなので、女性とうまく(対等に、というか、優劣の比較なく、というか、とにかく普通に)話せないということをロンドンのマネージメント会社女性への不自然な接し方で表現するシーンでもう泣けてしまって・・・。ああいうバリキャリ女性、意外といるのよ・・・。わかっていれば可愛い人だけど、そういう対応をされた側だと「なんなの?感じ悪くない?」って思うよね、そりゃ。
そして、どこにいても心休まらず、一人になれるのが公衆電話ボックス、という雨のシーン(雨だっけ?)も、そう。「やっぱりおうちが一番いいわ」という彼女の有名なセリフの、真逆じゃないか。
ステージで意識朦朧となりながら歌うジュディ、もまさに必死で働く周りの女性たちに重なって、なんというかもう抱きしめてあげたい。

と周囲の女友達に語ったら、「え?そんな感動映画だっけ?まあ普通にいい映画ではあったけど・・・」と引かれてしまったので、私の思い入れが強いだけかもしれない・・・。


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