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品品喫茶譚 第83回『栃木 日光 フルール』

とにかく風の強い日だった。
風は冷気を運んでくる。この日、日光に集った私、Kさん、Aさんの三人はもろにその冷気の餌食となった。もっともこの日を挟んだ前後、街には結構な雪が降ったので、この日がマシなほうではあったのかもしれない。
私の故郷は日光である。栃木は分からなくても日光といえば分かるという感じのわりあい有名な観光地だが、大学生になるまでの十八年をこの街で生活した私にとって、かの街の観光地然とした趣よりは、普通に生活としての利便性、効率の悪さのほうを大きく感じることが多かった。スーパーやTSUTAYAには車で隣町にわざわざ行くことになり、その間にある観光地パートはほぼ素通り。風は強く、冬は結構寒い。シーズンには道がひたすら混んだ。鹿沼という日光と宇都宮の間、というか、やや宇都宮寄り、っていうか、めっちゃ宇都宮寄りの街の高校に入学しても生徒間の見えないヒエラルキー的には宇都宮や鹿沼方面の生徒と比べると分が悪く、どこか山の方の田舎からやってきた奴らっぽく扱われることもあった。
もっとも日光の売りである世界遺産・二社一寺に関してはずっと馴染みがあった。小学生のころなどはそこで頻繁に開催される祭りのために、当日は朝礼を一応形だけやって解散、そのあとはフリーダムで、各々祭りへ行く、みたいな日が沢山あったし、なんなら段々祭り自体に参加することも増えた。地区によっては山車が出て、その中で太鼓か何かを叩く、という女の子の同級生もいたし、武者行列では実際に仮装し、参道を往復するということもあった。私は地味な着物を着て参加したことがあるが、鎧武者の恰好をした友人たちは写真を撮られまくり、指をさされまくりであった。私は地元が観光地であることを享受しながら、もう一方で観光地であることを疎ましく思っていた。つまり故郷を愛し、また憎んでいたんだね。それに関しては故郷を出た皆さんの持つ思いと私に何の違いもないことと思う。

とにかく風が強い日だった。私とKさん、Aさんは神橋のほど近くにある蕎麦屋に入った。朝からさんざ動き回っていた私たちはとにかく腹が減り、なんでもいいから何か食いたかった。その蕎麦屋に私が入ったのはこのときが初めてであった。店内にはちょっとどうかと思うくらいの数の様々なタッチで描かれた神橋の絵が飾られていたが、基本ノータッチだった。外はいかついくらいに寒く、とにかく腹が減っていたのである。観光地値段ではあったが、そんなに悪くはない蕎麦を美味しくいただき、店を出た。建物の中で少しの間、ぬくもったことで相当復活したものの、外に出ると相変わらず風が吹いている。心を打ち砕くのに一分もいらないであろう、猛烈な冷風である。我々はすぐに身体をすくめた。
東武日光駅前には実は一軒、フルールという喫茶店がある。その店の名をみると、私は京都の長岡京市にあるフルールを思い出すが、こちらのフルールもずいぶん前から駅前にあったようだ。私はほんの一年前くらいに、電車の発車時間までの暇つぶしのために一度入ったことがあるだけで、実は今回が二度目の来店であった。JR日光駅という、東武日光駅のほんの目と鼻の先にある駅舎を訪れた後のことである。
フルールの店内は、口々に「今年一番寒い」、「心が一瞬でバキバキに折れた」などとほきだしていた三人の、心と身体をかなりのスピードで復活させるほど暖かかった。以前、旅行でかの街を訪れ、この店で茶をしばいたこともあるKさんはこの店をまるでタッチに出てくるCOFFEE南風みたいだと評していたが、納得である。どこか80年代っぽい感じを醸し出した店内はマスターが一人で切り盛りしているようだ。我々の他に客もなく、穏やかな時間が流れている。店内に入れば外の強風もなきもの同然である。いい気になって珈琲をしばく。だべる。ぬくもる。先程、JR日光駅にて、件の駅の昔からの名物である鳴き龍の下でなんべん手を叩いても、かの龍がぴくりとも鳴いてくれなかったKさん、駅前に最近できたクラシック風ホテルの、どう見ても営業していないオープンテラス付きカッフェをあそこ良さそう、と二回くらい言うほどには疲弊していたAさんも、フルールで復活したのだった。

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