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品品喫茶譚 第79回『横浜 少しだけ大学院』

高校生のころと言えば、さるフォークデュオの楽曲をひたすら練習、CD、ビデオ鑑賞の嵐、挙句、ファンクラブにまで入り、たまに東京にまで出張っていって、ライブへ参戦、グッズを買い漁り、そのたびにまた彼らのことが好きになり、家で独り、歌を歌う、の繰り返しであった。
そんなとき、横浜スタジアムで行われた件のフォークデュオのライブは圧巻だった。
真夏の炎天下、まだ陽の高いうちから始まったライブは、普段であればゆっくりゆっくり下るところのいつもの長い下り坂を、今日に限ってはヒートアップ、鋭いまでのアコギのカッティング、うなるタンバリン、粗削りなしゃがれ声に、ハイトーンのハモりが広い球場全体にこだまして、ともさか勢いよく下っていくように進んだ。熱は高まる一方、日がとっぷり暮れたころに最高潮に達した。生ぬるく気怠い気配を含んだ潮風は、私の高潮をさやさや撫で、ずっと立ちっぱなしで疲れ切っているはずの両脚はいまだ軽快にステップを踏んだ。ジャニス。心のままに。くず星。そのころ、自分を魅了した珠玉のナンバーが横浜の空へと溶けていく。数年後にはまるで嘘のように消えてしまう彼らへ対する思いだったが、この日の高潮はいつまでも嘘にはならない。終了後、速足で駆け抜けた横浜駅、新幹線であっという間の宇都宮。自家用車でうとうと眠りこけるころには実家に着いたけれども、頭の中ではいつまでもいつまでもフォークデュオの歌声が流れていた。

喫茶店を出て、横浜中華街方面へと進む。
この日最後の喫茶店は件のスタジアムのほど近くにあった。
と、思考は喫茶店に入る前にまた過去へと戻っていく。私がこのスタジアムを訪れるのは実はかのフォークデュオの晴れの日以来ではなく、大学生のころに遡る。横浜スタジアムでの松本人志始球式。毎週リンカーンを録画していたので、チケットはすぐに手に入れることができた。詳しくは以前、テレビブロスの連載で書いたので、ここでは事実だけを述べるに留まるのだが、とにかく動く松ちゃん、横浜の風、初めて観た野球はどちらのチームも応援していなかったにもかかわらず楽しかった。

大学院。ロココ調というのか、十八世紀っぽい店内にはやはり「十八世紀のフランスの人たち」と書かれた絵画が四点かけてあった。一番奥の席に案内される。アイスコーヒーを注文した。
というところで記憶が途切れる。シャリバテである。
横浜には思い出が多すぎる。来週も横浜だろうか。いや、来週は京都やで。

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