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品品喫茶譚 第80回『京都 翡翠 実家のものと同じ柄のソファー』

先日、両親が京都に来た。
私はこの街に住んで十年になるが、初めてのことだ。
北大路堀川の交差点近くに「翡翠」という喫茶店がある。喫茶譚でも何度か取り上げたことのある店で、私の京都でのベストフェイバリットカッフェのひとつである。
私がこの喫茶店を好きな理由のひとつに、実家にあるのと同じ柄のソファーが置いてあるということがある。私はそのことを歌にして歌ったり、何度も文章に書いたりした。
今回、両親はがっつり京都の寺社を観光しに来たのではなく、むしろ、昔、兄夫婦と訪れたことのある祇園の寿司屋や、私がよく行く書店や飯屋など、自分たちの思い出をなぞったり、普段の私の京都での生活風景が見たいようだった。
というわけで、慌ただしく四条河原町界隈を案内した一日を終えると、彼らの京都滞在二日目は早朝の翡翠から始まった。
朝九時に店で待ち合わせる。九時ちょうどくらいに翡翠に入ると、彼らはもう到着しており、窓側から二列あるうちの奥の方、やや暗がりの席に座っていた。彼らは大抵待ち合わせよりいつも早く来るのが常なのだ。

「あれが和宏(私である)の言っていたソファーだね。本当に同じ柄だ」

母が窓側の席を指さして言った。やはり彼らも件のソファーがどれなのか、すぐ分かったのだろう。その感慨は私が初めて翡翠のソファーの柄が実家のものと同じであると気づいたときの驚きと、なんら遠くないものであるはずだ。それにもかかわらず、彼らが座っているのは緑のてらてらしたソファーの席だった。せっかくなら実家のものと同じ柄のソファーの方に座ればいいのに、そう思ったが、実家を離れてしばらく経つ私と違い、彼らの日常にはいつもソファーがあるわけで、わざわざ座るほどのこともないと思ったのかもしれない。なんでもかんでも自分の感傷の物差しで物事をはかってはいけない。
モーニングを三つ注文する。
こういった喫茶店に普段来ない上の世代の常として、やはり二人は運ばれてきたトーストにサラダ、ゆで卵を「懐かしい」と眺めていた。
親父はアメリカン、母親はカフェオッレ、私はブレンドを決める。早々に完食し、このあとどうしよか、などと、普段は持ってこない備え付けの雑誌をテーブルに広げて眺めながら、ぼへーっと憩っていると、親父がモーニングのおかわりを店員さんに訴えた。
もう一度、トーストにサラダ、ゆで卵が、そして二杯目のアメリカンがやってくる。
食べ過ぎだと思った。というか、私は違う店のモーニングをはしごすることはあっても、お代わりをしたことはない。そもそも、そんなにがつがつ食べるものだろうか、いーやありえない。あ、そのゆで卵いらないなら食べるよ、などと逡巡するうちに、何かひどく斬新なことをされたような気持ちにもなってくる。なるほど確かにモーニングをお代わりしていけないという法はない。自分がそう思い込んでいるだけで、そういう人も案外いるのかもしれない。というか、もう一個ゆで卵が食べてラッキーだ。なるほど。いかに自分が凝り固まっていたのか、なんとなく分かった。


実家を処分することになって、いま片付けている。
といっても、私は時間を作って帰省しては、自室の整理をする程度のことしかできておらず、ほとんどの作業は両親がしている。ことに親父は親戚のおっさんとともに大きな家具をノコギリやハンマーなどでギコギコボスボス切り刻んで解体したりしている。本当に骨の折れる作業のようで頭が上がらない。
ソファーが解体されることになった日、親父が写真を送ってきてくれた。
作業は本当に大変そうだった。その大変さに私の甘な感傷など不要だと思った。それでも息子の感傷に寄り添って、彼らは写真を撮って送ってきてくれたのだ。
本当にありがとう。

実家にもう翡翠のものと同じ柄のソファーはない。
ソファーセットは二階の角の部屋に置かれていた。ソファーのなくなったスペースはこんなに広かったのかと思うくらいがらんとしている。
部屋の角に沿ってL字に置かれたソファーセットの角っこの裏側、そこにできたデッドスペースは小さいころの私の秘密基地だった。
私はたまにそこに入り込むと、体育座りして窓から家並を見下ろしたりした。少し大きくなった私がこの部屋でギターを持ったとき、お客さんの代わりをしてくれた家並である。
秘密基地には埃がたまっていて、虫の死骸とかも結構あった。なくなってしまうとそんなものさえ懐かしく感じてしまう。

先日、夢を見た。
なくなったはずのソファーが部屋に置いてある夢だった。
夢の中の私は間の抜けた所作で、これは夢ではないかと何度も目をこすり、やがて本当にそこにソファーがあることを認識すると、思いっきりフカフカめがけてジャンプした。
フカフカに体が着地するかしないかの寸前で目が覚めた。
深酒した夜の浅い眠りのなかで見た、脈略のない、他愛のない、沢山の夢のうちのひとつだった。

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