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#19 門松代用紙って知ってますか?


 クリスマスが終わり、いよいよ年の瀬という今週、今年も自治会の回覧で「門松代用紙」が届きました。門松代用紙(かどまつだいようし)って何、と思われる人も多いと思います。その名の通り、正月に門松の代わりに玄関先に飾る紙になります。
 「正月の飾り物作りなどで山の緑が損なわれないようにはじめた瀬戸市の伝統事業です」と以前瀬戸市の広報に説明が添えられていました。
 門松代用紙は瀬戸市のホームページからダウンロードも可能です。

 A4の紙を縦に二つにしたサイズくらい。初日の出だったり。松竹梅であったり、門松だったり、正月らしいめでたい図柄が描かれています。
 これは自分たちが子どものころからあまり変わっていません。どこまで時代をさかのぼれるかは不明ですがとにかく昔からあって変わらないことは確かです。

こんな感じで家の入口に正月に貼る。

 瀬戸の門松問題。実はこれには歴史があります。
 江戸時代、世の中が安定してくると陶器の需要が高まり、それに応じるため瀬戸の窯業生産も飛躍的に伸びました。そのために必要な土と燃料の薪(火力の強い松)を確保するため、周辺の山々は一面のはげ山となってしまいました。結果、はげ山は山崩れや洪水などの災害を繰り返し起こすことになります。
 もちろん当時も尾張藩による山林保護や再生事業は行われていました。その中で享保7年(1722年)には門松に真松の使用を禁止する「門松の制限」が出されています。その後も繰り返し出されていたようです。
 門松に使う松は若松であったり根付の苗のようなものが好まれていたので、せっかく植林事業として植えた松が育つ前に採られてしまうことも多かったようです。それぞれの家が正月の門松作りのために松を抜いていく……これには藩の役人も困ったようです。

 この後、幕末から明治には再び管理が行き届かなくなりさらに荒廃が進むことになります。この山林の本格的な回復は明治半ば以降のホフマン工法による治山事業(山の再生)まで待つことになります(ホフマン工事についてはあらためて取り上げます)。

 今は豊かな緑に囲まれる瀬戸ですが、その山々は徹底的な荒廃から再生されたものであることは忘れられがちです。
 現代の窯ではガスや電気が主で薪を必要とすることはあまりありません。ただ、土を採るために山を崩していることは今も変わりありません。自然を壊しつつ陶磁器を作っていること、先人の努力によりここまで瀬戸の山林が回復したことを忘れず感謝する意味でも、正月には門松代用紙を玄関先に掲げる意味があると思います。
 まさにSDGsの先駆けですね。

 瀬戸以外にも門松代用紙を使う町は他にもあるように聞きます。みなさんの町ではどうですか?

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