書き8年
mixi歴19年2か月だそうです。
実績も無い、知名度も無い、どこの馬の骨ともわからん者が何を講釈ぶってるのだ?って話なので、SNSは基本的にどれも鼻で笑っていい話であるし、ツッコんだりネタにしたりして広げて行ければ駄文では終わらない。
これもSNS時代の文章の一つの価値ですかね?
小説家や記者から比べれば『書いてる』と言うのも憚られるが、思ったことを文字にする行為を長年続けていれば、それなりのことは出来るようになっては来るものである。
そういった意味では、どんなことでも『無駄』なんてものは無いんだろうね?
書くことにそこまで苦労したことがない。どのみち何も思い浮かばない時は何も書けないのだからパソコンに向かってジッとしててもしょうがないしね?
ウケるかどうかも出してみないとわからない。
それは音楽も、ファッションも、ガジェットも、アプリも、店も、タレントも、動画も、政策も、何でもそうだろうね?
『流行』は空気なので『読む』ことも『起こす』ことも出来るんだろうが、そこがまさに『空気』たる所以で、『持続』することこそが難しい。
パッと初めてサッと終わる『長い変な名前の食パン屋』みたいなビジネスモデルならそれが正解だとは思うが、だいたいの人はその一本のヒットを足掛かりに持続することを求めるものだしね?
『もっと良いものを』
少なくとも自分の前作を超えて行かないといけないので作家なんかは本当に大変だと思うし、記者にしても語彙力やワードのチョイスでセンスを問われる。
そういった意味ではSNSでただ書き殴るスタイルは楽だし、mixiからフェイスブック、Xとnoteへと移ってきたが、書いてる内容やテイストはほとんど変わってないと思う。
長年やってることで弊害があるとすれば『数年前はこう言っていたぞ』とSNSを発掘され指摘されることぐらいか?
ただ、それはその時の自分が思ってことで、今の自分はこう思うんだから違っても仕方がないし、宗教じゃないんですから、そら書いてることだって時代の流れとともに変わっても来るでしょう。
まるで戦時中の常識を現代人が批判してるようなもんで、『後だしじゃんけんは勝負にもならん』というお話でございますね?
弊害と言えば、『歌詞のサイズのもの』が確かに書けなくなってきてる。これは明らかにマズイ。
『そろそろ書いていくか…』と、今日もSNSで発信と…
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