イエスがブッタ
今から2000年ほど前のローマ帝国が支配するイスラエル地区、ユダヤ教を信じる世界にあって、神殿の敷地内で勝手に商売をする人がいた。
ユダヤ教中心の世界ですから、信仰に厚い下々の人々も礼拝に訪れ、他にも待ち合わせなど今で言う駅前のショッピングモールみたいな感覚で人が集まったんじゃないでしょうかね?
その教会を中心に、食品店、雑貨店、日用品店、ローマ軍の屯所があったり、町が出来上がっていく中で、自然発生的に教会の敷地内で勝手に商売を始める不敬な輩も出てきたでしょう。
聖書には『神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者、座って両替をしている者がいた。』と書いてありますが、中には詐欺まがいの品物や、いかがわしいものを売ってた輩もいたんじゃないですかね?
そのカオスな状況にイエス・キリストはブチギレまして、『神殿で商売してんじゃねーぞゴルア!』と敷地内から追い出すワケです。
原因はどうあれ、正義がどうあれ、『互いに愛し合いなさい』と言ってる人がはたらく暴力行為ですから、福音書から削除してもいい件ではありますが、あえてしっかりと記してあるワケです。
このまさかの行為に、『えー!敵をも愛せ言うたやーん!』と、弟子たちはただ茫然と立ち尽くしてたんじゃないですかね?
後の世の私たちが理解しなければならないのは、『イエス・キリストでさえ神の教えに背く者に対しては暴力を正当とした。』ということでは決して無いということです。
むしろ『人は行き過ぎる。』と、『感情に任せると失敗する。』という、あえて教訓とするならそういうことじゃないでしょうか?
ローマ軍が常駐する町の神殿で勝手に商売をする輩がいるワケですから、もしかしたら反社組織が元締めとして暗躍してたかも知れませんしね?お目こぼしを頂戴するために律法学者に政治献金なんかもしてたかも知れませんしね?
そんなこともすべてお見通しのイエス・キリストではありますが、そこだけ見れば『急に町の神殿で暴れたヤツ』ですから、そら全方面から目を付けられますよね?
案の定、その後『磔』という最も重い刑を受けることになります。『ユダヤの神さまの為に不敬な輩を追い払った』にもかかわらず。
律法学者たちなんかむしろ喜ばないといけないくらいですのに、その律法学者たちがイエス・キリストの絶大な人気をやっかみ、ピラト提督に『ローマ転覆のため人を集めているんちゃいまっか?』と言って売ったワケですからね?
真実を狂わせるのはいつも『人のうわさ』でございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?