終わりの風景

宮台真司氏退官記念「90年代以降のニッポン社会と音楽・サブカルチャー」をようやく視聴できました!

君は終わりの風景を知っているか?
即ち、終わる前を知っているか?

人という主体が後退した時に音楽が語り出す。
私は作品から演奏を排除し始めましたが、それこそが人間的だとも言えるし、それは未来の新興宗教の祭典のようでもある。

人工とも自然とも言えない。
有機とも無機とも言えない。

偶然のように作られた瞬間が続くんだが、それが必然のように聴こえる音楽。
偶然と必然という二項対立の無化。

この辺りは、現在取り組んでいる新作のテーマと重なる部分で興奮しましたねえ。

自意識を飛ばすような音楽を作らなくては。

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