見出し画像

空間プロデュース・ブランディングを行うCalが手掛けた琉球料理店「くにんだ」がオープンしました

SEVENRICH GROUP(以下、セブンリッチ)には、ブランディング・空間プロデュースを行うチーム、Cal(カル)が所属しています。

責任者を務めるのは、アトリエ・天工人、CPCenter、UDS株式会社、DRAMÉ TOKYOで住宅設計、事業企画開発、事業 / 空間プロデュースを手掛けてきた真榮城 徳尚(まえしろ のりたか)。セブンリッチのパートナークリニック「クリニックTEN渋谷」、セブンリッチが運営するプライベートサウナ「the・」の空間プロデュースも、真榮城率いるCalが行ってきました。

そんなCalが空間プロデュースを担当した琉球料理店「くにんだ」が、2023年12月11日、那覇・国際通りにオープンしました(運営・エクレレ株式会社 / 代表・照屋逸郎)。

今回のnoteでは、くにんだのプレスパーティーの様子と、開店までのプロセスを、レポート&インタビュー形式でお届けします。


13品の本格琉球料理を国際通りで

くにんだは、国際通りの入口(県庁前駅)のほど近くに位置しています。

画像引用:Google Map
画像引用:Instagram

「国際通り」と言われてイメージするのは、土産店、飲食店、市場などが立ち並び、新旧が交差する街並みではないでしょうか。一方くにんだは、いわゆる“沖縄っぽさ”のない、洗練された店構えでわたしたちを出迎えてくれました。

店内に一歩足を踏み入れると、広がっているのは打ちっぱなしの壁と、すっきりとしたカウンター。「琉球料理」と言われてイメージする店内とは違った印象です。

画像引用:Instagram

くにんだで提供される料理は、「うとぅいむち御膳」3,500円(2023年12月時点)。琉球料理保存協会の理事が監修する、ジーマーミ豆腐、田芋唐揚げ、ジューシー(炊き込みご飯)、イナムドゥチ(具だくさんの味噌汁)など全13品を楽しめます。

なぜ、琉球料理「くにんだ」を創るのか

プレスパーティーでは、くにんだのオーナー照屋さん・Cal真榮城より店舗説明が行われました。

沖縄で生まれ育った照屋さん。幼いころから、盆・正月には祖母・母が丁寧に沖縄料理を作ってくれ、沖縄料理が大好きになったといいます。しかし、上京し、東京で聞く沖縄料理の評判は「美味しいけど、大雑把だよね」「東京のもののほうが丁寧で洗練されているよね」といったものばかり。悔しさやもどかしさを感じることが多かったといいます。

沖縄の料理は、本当に他の料理に比べて劣っているのか。
大雑把な料理なのか。

自身にそう問うた結果、照屋さんが出した答えは「否」でした。祖母や母が作ってくれた手の込んだ料理を思い出すと、丁寧で美味しかった。少しも負けるところなどなく、沖縄の食は、沖縄の文化として誇りを持てるものだ――。

そうして照屋さんは、沖縄の食文化を伝えるため、沖縄の食路(しょくじ)を作るために、くにんだを作りました。

かつて奇跡の1マイルと呼ばれ、良質なものを求めて通った国際通り。今でも、観光立県沖縄の玄関口として、多くの観光客を迎え入れています。そんな国際通りから、ウチナーンチュのこだわりや技術の結晶を発信したい。そして地元の人たちにとって、くにんだを「地元の料理は素晴らしいものなんだ」と認識する場所としてほしい。

いつか、フランス料理、イタリア料理、日本料理に「琉球料理」が並ぶ未来を作りたい。照屋さんは、そうお話を結びました。

空間へのこだわり

洗練された琉球料理を提供する場として生まれたくにんだ。照屋さんの願いを形にするために、Calはどのような関わりをしていたのでしょうか。Calの真榮城に聞きました。

最初は乗り気でなかったくにんだのプロジェクト

――くにんだとCalの共創は、いつからどのような形で始まったのでしょうか?

くにんだで料理の監修を務める琉球料理保存協会の真栄田貞子理事が、僕の母の友人だったことがきっかけです。数年前に生まれ故郷である沖縄に帰省したとき、母が真栄田さんが営むお店に連れて行ってくれて。そこで「どんな仕事をしているの?」と聞かれ、自分の仕事についてお話しました。

それから数年が経ったある日、急に前田さんから電話が来て、「あなたと同じくらいの年齢の経営者と琉球料理のお店をやろうと思っているから手伝ってほしい」と言われたんです。でも実は、最初は乗り気ではなくて。

――なぜですか?

理由は大きくふたつあります。ひとつは、僕に声がかかったときすでに内装プランはおおかたできあがっていて、“意図のわかる”ものに仕上がっていたこと。

もうひとつは、僕が沖縄での仕事にためらいがあったこと。大学卒業後に沖縄を離れ、東京で必死に働いてきたわけですが、それに後ろめたさがあったんですよね。恩返しをしたい気持ちはありましたが、「あいつは故郷を捨てた」と親戚や同級生に思われているのではと不安だったし、故郷に何かを残すことへの緊張感みたいなものもありました。

ただ、照屋さんと話をしたら、ひっかかるものがあって。なんというか、お店について話す照屋さんがすごく自信がなさそうで、自分がオーナーとして関わって作っているものなのに、いかにいいものなのかを頑張って説明して自分を納得させているような感じがしたんです。

それで「本当は一体何をやりたいんですか?」って聞いていくと、照屋さんからいろんな思いがあふれ出てきました。自分は沖縄食は本当はいいものだと思っていること。それなのに、適当な料理だと思われていることに歯がゆさを感じていること。イナムドゥチ(沖縄の郷土料理。具だくさんの味噌汁)が今も大好きで、沖縄から取り寄せてまで毎日食べていること。

それを聞いて、この人は本当に沖縄の料理が好きで、沖縄の飲食業界を変える意思のある人なんだと思ったんですよね。

僕も普段は生まれ育った沖縄のことを悪く言ってしまうことも多いのですが、それは愛情の裏返しでもあって。沖縄の料理は「てーげー」(適当)だから本来の良さが0.8倍になってしまっているけれど、僕と照屋さんがタックを組んだら、100%に、いや、120%なるんじゃないかって気がしたんです。それで、照屋さんと一緒にくにんだを作っていくことに決めました。

ふつうの飲食店とは逆のことをする

――でも、すでに内装プランまで決まっている状態だったんですよね?その後どのように進めていったのですか。

もう一度照屋さんにヒアリングをして、やりたいことを改めて形にし、企画書を作成しました。それを持って、もともとの内装プランを作ってくれていた会社に出向きました。それで、「東京から来ました。でも、僕は本当は沖縄の人間です。首里で育って、東京で働いているもののこういう理由で参加させていただきたくて」って。

「これとは違うものを作りたい」なんて提案、されるほうも嫌ですよね。でも、ただ儲かる沖縄料理屋を作るのではなく、沖縄の料理に対する評価を変えるためにやりたい、だから今までと違うことをやらなければいけないのだと思いを伝えたら「それでやりましょう!」とすぐにポジティブな返事をもらうことができ、僕らの提案した内装プランをブラッシュアップしていきました。

――具体的にはどのような点を変えていったのでしょうか。

「沖縄の飲食業界を変える」という大きな目標を掲げるなら、通常の飲食店とは全く違うことをしなければならないと考えました。だからとにかく、今までの逆をやる。

くにんだくらいの床面積のある店舗では50~60席を設け、オープンキッチンのカウンター、テーブル席、個室を用意するのが一般的ですが、くにんだの席数は30まで減らしました。また、あえて喋りづらい席配置と雰囲気を作り、食事に集中できる空間にしました。

お店を作るとき、たいていの場合「私はこうやりたい」「私はこう思う」と対立する意見の妥協点を見つけていきます。でもくにんだは、照屋さんの「沖縄の飲食業界を良くしたい」という気持ちが真ん中にあったから、意見の相違が起きても「それを目指すためにはこうすべきだ」「違うやり方が良い」と、軸を持って進めることができました。

――特にこだわったポイントは?

他のお店とは違うポイントのひとつが、食事の提供の仕方です。くにんだには、カウンター席の真ん中にランウェイのような通路を作っています。

その理由は、古来の沖縄を感じさせるような、品があり、かつ型のある提供の仕方をしたかったから。最終的に、琉球舞踊の動きを取り入れた提供を行うことにしました。だからくにんだでは「ほら素敵でしょ。これがすごくおいしいんですよ」というトークはしない。静かに運び、静かに出し、最小限の説明だけで帰るのがくにんだのスタイルになりました。

沖縄の人が家族を連れ、沖縄を伝えるような店に

――くにんだに、今後どのような店になってほしいと思いますか?

まずは、満席になるお店になってほしいと思っています。観光のついで、出張のついでに県外の人が立ち寄り、沖縄の人も特別な日にやってきてくれる。そうしてくにんだが連日満席になったとき、世の中は少し変わると思っています。

それから、自分がかつてそうだったように“わからない中に飛び込んだら、なんだか成長した”と思えるきっかけを作りたいとも思っています。

――というと?

小学校3年生のとき、父親に連れられて、東京の板前さんがいるようなお寿司屋さんに行きました。緊張しながら自分で大将に注文して、この食べ方でいいのかなって心配しながら出されたお寿司を口に運んで。大人として見られる経験はすごく緊張するんだけど、それが自分を成長させたりもする。そんな経験を、くにんだでしてもらえたらいいなと思っています。

もしかしたら子どもにとって琉球料理は、苦かったり、味が薄かったりするかもしれない。でも、今は苦くても二口食べたら美味しくなるからって両親やお兄ちゃん・お姉ちゃんから手渡されて、食べてみたらいつの間にか好きになっている。そんな瞬間を作っていきたいですね。

「沖縄の料理の歴史はね」なんて言われてもよくわからないかもしれないけれど、空間、サービス、食があればたった一口で文化的な背景がすっと入ってくるかもしれないじゃないですか?くにんだの料理が、そんな存在になったらいいなと思っています。

琉球料理 くにんだ 公式サイト

くにんだ 那覇 公式Instagram


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?