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「進化」と「成長」について(Addiction語り)

11/21追記
このnoteを中国語に翻訳していただきました!
https://note.mu/fe_translated/n/n6773340b443d
謝謝你Feさん!!


こんにちは、俺です。
先日、オリジナルフルCG映像作品「Addicton」を制作いたしました。
こんな作品です。

なんとTwitterの140秒規制に対応する尺にしたため、Twitterでも見れます

というわけで、今回は
・なぜこの作品を作ったか
・この作品を作ることは、果たして「進化」とか「成長」だったのか
という話をしたいと思います。
実は常日頃から作ったものを語りたい欲あるものの、どうにも「なにかの依頼で作ったもの」が大半を占めるため、なんかこう、俺が語るのもなぁ〜と思っていたんですが、今回は何しろオリジナル作品なので、堂々と自分で語れんじゃん!!と思ったので、語ってみる方向にしました。

そもそもなぜ"Addiction"を作ったのか

これは実は結構シンプルで、理由は2つだけなのですが
一つは「休暇で台湾に旅行に行くので、その間になにかレンダリングしておきたい」という漠然とした気持ち
もう一つは「今まで作った静止画を試しに動かしたときにどうなるか」という漠然とした実験
という、かなり漠然漠然とした漠然な感じの漠然なノリで作ってみたのですが、そもそも今年に入ってから作ってきた自主制作作品(静止画)が「どこかメランコリックで、なにかどんよりとした感情を表した」絵作りのものが多かったので、
もしかして今年作ってきた静止画作品は、一つ一つは全然違うモチーフやモチベーションで制作しているものの、なにか自分の中で一定の思いがあり、連続させることで見えることがあるのではないか?
ということに思い当たりました。(ちなみに今年作ってきた静止画作品につきましては私のサイトbehanceをご覧くださいませ!)
そしてちょうど10月の末に遅い夏休み兼自分の誕生日祝いの休暇で1週間ほど海外に出かける時間がある、ということは、静止画としてしか考えていなかったそれなりに重いシーンでも、かなりレンダリングを回せるのではないかと思い、実行に移しました。

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"Addiction"という実験の過程・結果

旅行前の2日ほどで今年作ってきた自主制作シーンにアニメーションを付け、レンダリング設定を調整し、合計20カットほどのレンダーキューを投げてそのまま旅行へ出発しました。
旅先ではスマホからちょくちょくリモート接続してレンダリングの状況を確認していましたが、特にエラーや落ちたりなどというトラブルもなく、スムーズに自室で淡々とレンダリングを進めてくれていました。
レンダリングが全部終わるかどうか不安ではあったのですが、無事帰国して成田から帰ってきて、旅中の荷物を整理したりスーツケースを片付けたりして、一眠りして起きたタイミングで無事レンダリングが終わっておりました。
早速レンダリングしたものをAEに放り込んで適度にカラコレ等の編集を行い、20カット全部を一度Premiereに並べてそのまま再生してみたところ
レンダリングが上手く行って嬉しいとか、俺はやっぱCG上手ぇなあ(自画自賛)等、ホクホクとした気持ちと同時に
「やっぱり何か一貫性があるな」
という感覚を強く感じました。
・・・実は、この時点でレンダリング結果が芳しくなかったり、ざっと再生して一貫性があまりにもなかったらここで終わりにしてお蔵入りにするつもりだったんですが、どうやらそういうこともなく、むしろこれは丁寧に編集をするべきだな、と感じました。

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と、なるとやはりBGMが必要だろう!と思ったのですが
今回の作品はBGM先行で作る「誰かの曲のMV」ではなく、あくまでも「自分の感覚をアウトプットする」ことが最優先なので、先にこちらの意図が伝わるレベルの編集をする必要がありました。
とはいえ、あまり適当に編集してから「じゃ、BGM、よろしく!」と誰かに言っても非常に困惑されることは確実なので
一旦BPM120のメトロノームだけをベースに編集し、
仮編したものと「BPM120」ということをトラックメーカーにお願いし
出来上がったBGMに合わせて最終調整をする
という手法にて編集いたしました。
あらためて非常に自分勝手な楽曲のお願いにはなってしまったのですが、快く引き受けてくれたFeryquitous様、ありがとうございました!!
Feryquitousさんがこちらの説明だけで完全に意図を汲んでいただき、素晴らしい楽曲を制作してくれたおかげで、作品の完成度がグッとあがりました!

そして見えてきた"Addiction"のコンセプト

先にも書きましたが、Addictionの各カットはほとんどが昨年末〜今年中に制作した静止画CG作品を動かしたものになります(実は一部完全新規制作カットがありますが、全体のバランスを見て帰国後に新規にレンダリングいたしました。)
静止画CGの時点ではあまり深く考えてこなかったのですが、連続して並べてみると「なにかメランコリック」な雰囲気があり、一貫性を感じる、と書きましたが、冷静に一つ一つのモチーフを分解していくと
祭壇・薬物・タバコ・指輪・カメラ・ラジオ・クリスタル・・・
なにか物語が浮かんでくるような気がしました。
例えばカメラ・ラジオ・クリスタル、のあたりは、普段の自分の趣味趣向ベースのモチーフになっており、作っている時点でもそれほど意識をせず、すっと頭から手に出てきたものをそのままCGにしているような作品がベースとなっています。
一方、祭壇・薬物・タバコの吸い殻、といったあたりは自分の趣味趣向というよりも、なにか作中に意図や気持ち、空気感とかを置こう!という明確な意思を持ってCGにしたなと感じました。同時に、もしかして自分の中に感じていたある種の閉塞感や、空虚さ、何かにすがりたい気持ち、といったものが現れてる気がしました。
そう気づいたときに、2つの異なる意思を持った種類のカットを組んでいくと、これが不思議なもので「なにかから逃れようとする、過去に囚われた男」のような物語性が浮かび上がってきました。
所謂フォトリアルCG映像作品なので、明確なセリフや舞台演出は存在しないのですが、淡々と進んでいくカットの中で「男=自分」の今置かれている心理的な状況が見えてきたなと思いました。

Addictionの大まかな映像表現は
・フォトリアル表現である
・ノイズグリッチ表現が展開される
・一定のBPMに合わせた展開である
・タイムリマップ表現・敢えての拡大表現のを多様している

といった感じなのですが、これらの要素は自分に置き換えていくと
フォトリアル=自分の表現の軸であり中心
・ノイズグリッチ=以前苦し紛れに頑張って習得した技術
・一定のBPM=音楽系映像に対するコンプレックス
・タイムリマップ=モーショングラフィックス表現の緩急に対するコンプレックス
・拡大表現=解像度・解像感を敢えて下げることへの恐怖

みたいなところに収束していくのではないかと感じました。

つまりは結局のところ、この作品を通じて
自分の制作に対するコンプレックスと向き合おうとしたのかもしれないな、と気づきました。
いつも隣の芝生が青く見えいて、自分にはそういったものが無いのではないかとか、自分のやっていることは特に人気もなく、端的にいえばチヤホヤされる類の創作物ではないし、○○さんみたいに「○○さんの映像一番スキです!!」って言ってもらえる類のものを作っているわけでもないし、というか俺にそういうファンとかもいないし、なんなら自分でも自分のつくる作品いつも同じだよなぁとか思ってるしじめじめじめじめ・・・・・・・
という、そういう感覚に初めて向き合った作品になったのかなと思います。

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「進化」と「成長」について

さて、そんな自分と向き合った作品を編集していて、ふと思いました
「この作品のタイトルはなんだろう」
プロジェクト名は「The_Film」というこれまた漠然とした名前にしていたのですが、さすがにここまで気づいた以上、何かしら納得のいくタイトルをつける必要があるなと思いました。
色々なアイディアを考えたのですが・・・
・単純に映像中のモチーフとなっている薬物・祭壇・煙草
・自分にはこれしかないんだというCGに対して
の2重の意味を込めて「Addiction」に決定しました。
「Addiction」中毒、依存、耽溺、熱中・・・そんな意味の単語ですが
結局のところ、自分はCGに対して「Addiction」していて、どんなコンプレックスがあろうとなかろうと、それしか生きていく術が無いんだなと感じました。

そして、普段静止画のCGだけで完結し、前後の制作物に対して何かを関連付けたりすることもなく、ただただCGを作ることに「Addiction」だった自分が、ちょっとした思いつきベースで一つの映像作品に仕上げるまでに気づいたコンプレックスのことや、本来そもそも動かす気がなかったものを動かしてみるという発想に至ったことに対して、なにか自分の中で「進化」であり「成長」を感じました。
ここでいう「進化」と「成長」は以下のように分けられます
進化:静止画表現から映像表現への昇華
成長:コンプレックスへの気付きと、それに対する一つの回答
これまではずっと「映像が苦手だ」という漠然とした苦手意識の中で、それでもありがたくも映像の案件をたくさんこなしてまいりましたが、ここにきてついに「映像にしよう」と思いつくまでになったのだなと改めて思いました。
そして、これまでも映像にしたい気持ちは心のどこかでずっとあったにも関わらず、映像が苦手だ、動く必要なんて無い、と自分に言い聞かせてきましたが、本当は作りたかったんだろ?という「コンプレックスへの回答」ができたなと感じました。

台湾に旅行中に36歳になって、いよいよ若手ではなく、立派なベテランと呼ばれる世代、もう若い頃のようにガンガン攻めていけないのかもしれないとか、世間的になにかやらないとまずい!みたいな気持ちとか、作品のクオリティが上がって当たり前の年頃だから褒めてもらえないとか、そういう部分から少しずつ少しずつ脱却して、自分なりのなにかを自分なりの方法で作り出していけるクリエイターになっていけるのかなと思えてきました。

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売れなくてもいい、進化と成長を継続したい

嘘です、売れたいです。
いや、でもふと思いました。売れるってなんだろう?
お金をたくさん稼ぐことなのか
SNS等でバズを稼ぐことなのか
アーティストとして、ファンを稼ぐことなのか

個々に様々な解釈があると思います。そしてどれも大事ですし、おろそかには全然できません。
その一方で「それを目指す」のは違うなというのもわかってきました。さもしい部分のある僕はどこかで「バズったらいいなへへへ・・・」とか思ってますが、まぁそれは一種の運もあるのでそんなものに頼っても仕方ないです。
それ以上に、やっぱり何が日々の自分を形成しているか、というのは大事だなと思います。結局自分を形成しているものは「お金を稼ぐこと」でもなく「バズを稼ぐこと」でもなく「アーティストぶること」でもなく「CGを作っていくこと」なのだろうなぁと思います。
そして自分にはこれしかないのであれば、これをしっかりと生活の手段として社会に提供し続けるようにしよう、と思いました。
CGを作り続けていくことと、案件などで社会に提供しつづけることができれば、自ずと「進化」でき「成長」できると実感しました。
いい年になってきたので、安易に若手っぽいムーブはしないように気をつける、でもそれはムーブに気をつけるだけのことであって、進化することや成長することは何歳になってもできるんだなぁと36歳の一番最初に気づけてよかったです。

敢えて含みのある言い方をしますが
同じ場所、同じ内容、同じ制作物を同じ人達に提供することで勝負していくこともできるんだなということを知っています。でもそれは実際のところ勝負しているのではなく「優しい人達に生かされているだけ」ということになるのだなと思います。

同じ人達にも少しでも新しいものを見せられるようになりたいですし
新しい人達と新しいものを作ってみたいなと思いますし
新しいことをしてみたら自分も新しくなれるだろうと期待したいです。
そういうことに気づけたのが、この「Addiction」という作品でした。

とはいえたくさんの方に見てほしいので、ここまで読んで興味が湧いた方はぜひとも見てくださいね!3DCGフォトリアル映像としては、まずまず見れる感じにはなっていると思います。

簡単なメイキングやら、作ってみての「自分の技術的に思ったこと」とかもあるので、それもどっかで書きたくなったら書くかもしれません。
必要とされてなきゃ書けないかなと思う部分もあるんですが、書きたくなったら書いたろ!って思ってます。

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