1894の想い出

実家は鳥取県の小さな港の町です。
18歳までそこで過ごしました。
私の家の電話番号は5-1894でした。
これが小学校の高学年の頃、電話が増えたと言うことで、55-1894と変わりました。
そのころは、「にくいよ」「肉やく」のように友達の家の電話番号を覚えていました。
今でも覚えています。
私の家の電話は日清戦争の年号だと思っていました。
それから50年近く経ち、実家の母から電話がありました。
来月から、家の電話をやめて、携帯電話だけにするという内容でした。
なくならないだろうと勝手に思っていた電話番号がなくなるのは、寂しいものでした。
「1894は覚えにくかったのだけど、おじいさんが一畑薬師(いちばたやくし)と覚えていたんだよ」と母が、教えてくれました。
私は、祖父に大切に育ててもらいました。
6年生まで祖父と一緒に寝ていましたし、寝る前に祖父に昔話を毎晩してもらったものでした。
歴史が好きなのも、祖父の影響です。
1894という一見なんの意味のない数字に、記憶のかけらがあるのだと改めて思ったエピソードでした。
日曜日の午後、娘が実家に電話するということで番号を教えると、「現在使われていません」とコールされました。


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