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ディバイデッドエルモハート

何度も何度も繰り返して「いつまで続くんだ」とうんざりしている時なんかは、実は終わりが見えないことに苛立っているだけで、いざ終わりが近づくと嘘みたいに寂しくなったりするから不思議だ。あんなに嫌がっていたのに。喉元過ぎればなんとやらとはよく言ったもので、その苦しみはぐぼぐぼ飲み込んでる最中にこそ現実なのであってその瞬間は思ったより長くない。そうすると後から思い出そうとしても意外と僕たちには想像力がないおかげで、実はそんなにまざまざとはその時の気持ちを思い出して反芻することができなかったりする。しかもそんなことを何度かやってるうちに、だんだん寂しさの方が苛立ちを追い越し始めたりする。同じことの繰り返しのようで、その実、全く同じではありえなくて、今日は元気とか、なんかさみしいとか、お腹すいたとか、ちょっと寒いとか、足痛いとか、急に嫌になったとか、好きな人ができたとか、眠たいとか、声がよくでるなとか、勝手に涙がでたりとか、何しても楽しいとか、だいぶ柔らかに、かなり確実に違っている。しかもそれが自分以外の人間も同じように同じでないと思うと、気が遠くなるくらい別物の繰り返しになっていて、もはや繰り返せているのかどうかも怪しく思えてくる。
ここまでくると、むしろ”同じ動作を繰り返そうとすること”によって”繰り返せていないこと”が浮き彫りになってくる。「いつもと違うな」とか「なんだろう?」という違和感が目立ち始める。それは不安や苛立ちだけでなくて、もちろん安心や喜びでもありえる。しかも、誰かを見て感じるだけじゃない。朝起きて軽く掃除をしたり、体操をしたり、コーヒーを入れたり、ちゃんと食事をしたりしている人は自分にもその違和感というか日々の変化を感じながら生きているのだと思う。だから毎日決まったことができる人は尊敬できる。髪型お化粧お洋服のお洒落なんかもまさにその類いなのでしょう。そういう人は傑出しているのが眼差しで伝わってくるから好きだ。上手くできてなくたってなんの問題もなくて、積み上げてきたものがそのまま真剣さになる。簡単にはできないことだし、そんな人を見ていると憧れや人間が到達できる可能性だったりを感じて胸が苦しくなる。希望を勝手に託して両手放しで喜んだり応援したりするのも正直いって心地いい。この人はこれをこのまま続けていくとどこまで行っちゃうんだろうか、なんて無責任にわくわくするのは最高だ。熱が冷めて疎遠になってもまたどこかで目にすればきっと再会を喜べるだろうと思えるような気がする。別に新しくもないずっとそこにあった何かを見つけて楽しめるようになったときエルモの生き様に感銘を受けるのでした。

P.S.そしてまだ彼は幼い。
“いつも明るくポジティブで、好奇心旺盛な3歳半のモンスター。思わずみんながつられてしまう、お茶目で可愛い笑い声が特徴です。新しいことを知るのが好きなエルモは、絶えず新しい世界を発見します。自分ができないことに直面しても、楽観的にとらえ、挑戦することをやめません。歌うことや踊ること、想像力を使ってお話を作ることが好き。金魚のドロシーを飼っています。口ぐせは「エルモ、君のことが大好き!」”†

†2024/03/16 19:56 セサミーストリートの仲間たち エルモ, https://www.sesamestreetjapan.org/characters.html .

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