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★結晶群の一般化(1)

◆結晶群の一般化とは
群$${G}$$は,その部分群$${H}$$に関して剰余類の直和に展開(ラグランジュ展開)できる:
$${G=a_{1}H+a_{2}H+\cdots+a_{r}H}$$,$${a_{j}\in G}$$
$${G}$$の位数を$${g}$$,$${H}$$の位数を$${h}$$とすると,$${r=g/h}$$は整数,すなわち,$${r}$$は部分群$${H}$$の指数である.
特に,$${H}$$が正規部分群:$${a_{j}Ha_{j}^{-1}=H}$$(すなわち,$${a_{j}H=Ha_{j}}$$)である場合が重要で,このときは,剰余類全体$${\{a_{1}H, a_{2}H, \cdots a_{r}H\}}$$は群(商群)$${G/H}$$をなす:$${\{a_{1}H, a_{2}H, \cdots a_{r}H\}=G/H}$$
群$${G}$$は,$${H}$$を法として,代表系の群$${G^{*}=\{a_{1}, a_{2}, \cdots , a_{r}\}}$$に縮小される($${H}$$を核に準同型写像される)という:
 $${G^{*}=\{a_{1}, a_{2}, \cdots a_{r}\}\simeq G/H}$$
この原理に基づき,群$${G}$$は正規部分群$${H}$$を法(核)として,小さい群に還元できる.逆に,正規部分群を何らかの群で拡大し大きな群に戻すことができる.群$${G}$$やその正規部分群$${H}$$,$${G^{*}}$$あるいは$${G^{*}(\text{mod}H)}$$は幾何学空間内で作用する対称変換の群であるが,$${H}$$の拡大に使う群$${G^{*}}$$あるいは$${G^{*}(\text{mod}H)}$$に色置換群などの幾何空間と別次元の空間に作用する対称変換を導入することで,古典群からの一般化の道が開かれる.幾何学空間の位置を替えずに,黒/白(あるいは+/-)という2値の変換(反対称変換とよぶ)を導入したのがアレクセイ・シュブニコフ(1945)である.反対称の概念を,幾何学空間とは異なる性質次元に導入し,古典群(幾何学空間の対称群)の拡大として定式化した.反対称概念は,ドイツの数学者ヘーシ(1929)も導入したが,古典群の高次元化に視点があり結晶学者の注目を惹かなかった.幾何空間に物理的な変化を付与して,対称性を豊かにする応用的な価値に注目したのがソ連の結晶学派であった.
◆2人のシュブニコフ
レフ・シュブニコフ(1901-1937)甥とA.V.シュブニコフ(1887-1970)叔父で14歳上.シュブニコフ群のシュブニコフはアレクセイ・シュブニコフ.シュブニコフ=ド・ハース効果に名を残したレフ・シュブニコフとは別人(二人とも優れた物理学者).二人の父称が同じヴァシリーなので兄弟かと思ったが,そうではなく,実は,甥と叔父の関係であった.レフの父はアレクセイの兄であり,この兄弟の父の名はヴァシリーだが,レフの父(アレクセイの兄)の名もヴァシリーであったのだ.
シュブニコフ群は今回の主題なので後ほど詳しく取り上げる.ここでは,甥のレフ・シュブニコフの悲劇的な生涯を紹介する.彼は,レニングラードのオブレイモフの研究室で金属の完全結晶成長の仕事をし,ビスマス単結晶作製の仕事でライデンのドハース研究所へ呼ばれる(1926-1930).レフを派遣したのはヨッフェである.純度を上げる方法でビスマスの良い結晶を作り,シュブニコフ=ド・ハース効果を発見した(ビスマスの電気抵抗は磁場中で増大するのは既知).磁気抵抗の精密な測定は,格子振動による電子散乱をとめる必要があり極低温での測定になる.結晶中の欠陥や不純物でも電子は散乱されるから欠陥のない結晶が必要である.純度を上げる方法で良い結晶を作り,レフは磁気抵抗が印加磁場強度の逆数に比例する周波数で振動することを発見したのだった.シュブニコフ=ド・ハース効果は,フェルミ面の形の影響を受けて起こる現象である.
ヨッフェ(1880ウクライナ生まれ,レントゲンの弟子)は,「ソビエト政権の最初の10年間の物理学はモスクワとレニングラードに集中した.今や分散の時が来た.産業と結びつく必要のある研究所は工場が存在する場所,産業のある場所になければならない」と主張し,1928年にハリコフ物理工学研究所創設につながった.
レフ・シュブニコフは,ライデンから帰国しここで極低温研究所を立ち上げ,活発な研究が行われた(1930年代).ハリコフの物理工学研究所には,L.D.ランダウもいた.
ランダウの教育方針は,彼の作成した「理論ミニマム」をマスターすること.最初にランダウの「理論ミニマム」に合格したのは,カンパニエーツ,続いて,リフシッツだった.カンパニエーツは「理論物理学」,リフシッツはランダウと共著の「理論物理学教程」の著者で,これらは日本でも著名な良書である.
ランダウとシュブニコフは親友であったが,どちらもレフ(トルストイもレフ,ライオンの意)と同じ名前であり,痩せたレフと太ったレフと呼ばれていた.
ハリコフの研究所にはドイツ人の研究者もたくさんおり,ライデンなど海外の研究所との交流も盛んだった.ヨッフェの後の科学アカデミーの管理監は軍事研究など中央から制御される状況になった.おりしも,第二次大戦前のスターリンによる粛清が始まる時期であった.
1937年8月6日,L.V.シュブニコフは,L.D.ランダウと一緒にクリミアで休暇を過ごし戻った日に逮捕され,スターリンによる粛清の犠牲者となる.いわれのない破壊活動の罪で起訴され,11月10日に銃殺刑になった.記録は改竄され,死体もわからず,未亡人は彼が1945年死んだと知らされた.1956年に至りL.D.ランダウらにより名誉回復が行われた.そのとき,ランダウが軍の検察官あてに出した書類の引用:「彼の研究論文の多くは画期的な古典であります.彼がソ連のこの分野の創設者の一人であったことを考えると,低温物理学の分野での彼の破壊活動について話すのはまったくばかげています.彼の熱烈な愛国心は,彼がソ連での仕事のためにオランダでの仕事を自発的に辞めたという事実によって強調されています.L.V.シュブニコフの早すぎる死によって国内科学に引き起こされた損害はどんなに過大評価をしても言い尽くせないほどです」
引用:
http://www.ilt.kharkov.ua/bvi/info/shubnikov/shubnikov.html

物性研究(2018.5)斯波 弘行.
ヨッフェ回想記;玉木英彦訳


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