喰われたチワワとハナカマキリと耳のない男

こんな夢を見た。中学校の教室に着くと6時間目の授業が始まっていた。7時間目には久方ぶりに裁縫をやるというが道具は持っていない。長らく休んでいたことの不安を抱きながら自分の席を確かめる私は、全く覚えのない数学の講義を聞く余裕もない。携帯電話も忘れたことに気づいて慌てふためいている。「いつだってバンドはやりたい」と言うと友人が名曲を作り出し、その熱意を前にして劣等感に襲われる。音楽室の鍵を勝手に開けて屋上に出ると見渡す限りーー球場の建物、市民体育館、恩田川と遊歩道のガードレール、桜並木、駐車場の砂利、いつも屯していた階段ーー懐かしい光景が広がっている。「ここで長いこと喋ってたよな」と変わらぬ容姿の幼馴染と話す横には背中を大きく喰われたチワワの死体が転がっている。捜索を任せていた別の大型犬が勢い余って喰いちぎったことは明白だった。私が歩き出した視線の後ろで女が泣き崩れた。
幼馴染の家から自宅に通じる急な坂道を登ると、植木のツツジがピンク色の花を見事に咲かせている。連れ立って歩いていた女子たちがざわつき始め、見れば、全ての花にハナカマキリがびっしりとぶら下がっている。ツツジの花を超える巨大で艶々としたハナカマキリが玩具であることを誰かが指摘する声が聞こえる。わかっていてもなお、震え慄き、直視することができない私の口から、ただ一言、「気がしれん」と言葉が漏れた。
「今、気がしれないと言ったのはどいつだ」と家の主人が酷い剣幕で現れる。すでに自宅を目の前にした私はそのままシラを切るがすぐに見つかってしまう。主人が走り出し、私もまた、走って自宅の白い門の前を通り過ぎていく。主人は、手に持った大きく膨れ上がったグレーのビニール袋からハナカマキリを取り出し、ひとつずつ私に向けて投げつけながら怒号を上げる。ハナカマキリの頭や羽や脚が、関節ごとにバラバラに崩れながら私にぶつかる。私は叫び声をあげながら手で払い、全力で走った。ようやく袋が空になったかと思えば、もうひとつの巨大な袋が現れる。無限に思われるハナカマキリの襲来に気も狂わんばかりで息も絶え絶えだ。自宅から数軒先の、2つ目の交差点にある真新しい家の前で私は、ついに主人に捕まってしまう。羽交締めにされ、必死に助けを求めている。サラリーマンや、子どもを抱きかかえた夫婦、大学生ふうの女、道ゆく人々がこちらを見ている。中年と取っ組み合いをしている痩せた男の様はあまりに情けなく、静止画のようだ。通報するにも携帯電話を持っていない私は、意識のない立ち止まる視線を振り向かせまいと声を張り上げた。
インド人の青年が現れた。片言で仲裁の言葉を発しながら、私に絡みついて離れない主人の手足をひとつひとつ解いていく。私と青年は主人を捕らえ、静かに立ち尽くす。青年から折りたたみ式の黒い携帯電話を借りると、その携帯で撮影されたであろう未熟なミュージックビデオが流れ出す。途切れ途切れの粗い映像のなかで青年は美しいフローでラップしながら歩いている。
男に追いかけられ、執拗に物を投げつけられました。その上、締め付けられました。これは暴行ではないですか。捕まえていますが、どのようにしたら良いでしょうか。逃げないはずですがわかりません。殴られないか不安です。早くきてもらえませんか。いつになりますか。今は助けてくれた青年と一緒で、私は携帯電話を忘れてしまったので、この番号は彼の携帯電話です。彼は外国人であまり事情はわかっていないようです。これではまだ事実の証明が足りないでしょうか。警官に向けて矢継ぎ早に言葉を発する声が涙で震えていた。青年はいなくなっていた。手元に残った携帯電話を返さなければいけない。彼はどこへ歩き去ってしまったのだろう。ラップが聞こえてくる。二度と映像を確かめることはできない。しかし、歌は微かに、確かに残っていた。
歌が聞こえる方へ、来た道を戻る。ひとつめの角を右へ曲がるとそこはゲットーだった。貧困に苦しむ子どもたちがみな同じ歌を口ずさんでいる。聞けば、そのゲットーを舞台にしたドキュメンタリー映画が制作され、映画は世界を回っている。ラップはそのテーマソングだという。今日はゲットーで上映イベントが予定されており、募金を集めているのだ。私は青年への恩義と、また、ゲットーの現状を世に知らせる映画の信念への賛同の意を表明するために、募金するべく路地を進んでいく。地面に広げたレジャーシートに座った青年が主催者のようだ。私は彼が携帯電話の持ち主を知っていることを確信していた。
「つい先ほど、私は彼に助けられました。彼は携帯電話を置いていってしまったので、これを返したいのです。あなたは彼のことを知っているでしょう」
私の声は青年に届いていないようだ。青年の耳はガーゼで覆われている。怪我をしているのか、そもそも耳がないのかもしれない。「私は助けられたんです。彼は映画のテーマをラップして、映像を撮っていました」。私はマスクで声が籠もっているのを強く感じたが、ゲットーにコロナを持ちこんではいけないと、精一杯声を振り絞るのだった。言葉が届かないことへの焦りを感じるほどに、青年への想いが募り、ますます喉がつっかえるように声が出なくなっていく。「私は助けられたのです。お礼を伝えたい。携帯を彼に返してほしいのです。どうしたら?助けられたのです」

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