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お金って、何だろう?

#お金について考える

上記のハッシュタグを見つけたので、私のお金に対する価値観を考えていこうと思います。
お金。
記憶の中ではおそらく小学校くらいからお金というものを意識してきました。当時の我が家の小遣い制が基本的な給付というのは殆どなく
小学校:学年×100円(4年なら月400円)
中学校:学年×1000円
高校:なし(アルバイトの給与÷2)
というスタンスでした。
当時の物価なんて忘れましたが、基本小遣いだと今の時代1日も遊べません。
なので、家事手伝いをして「稼ぐ」というのが習慣になっていました。
例えば…
風呂掃除:1回50円
洗濯物:1回100円(洗いから干すまで)
お使い:1袋100円
肩叩き等マッサージ系:1分10円
お金に困ったら父親にいつもマッサージの営業していましたね。(笑)
という感じで、働いた対価として貰う共通の価値を持つものって認識がと強く刻まれた子供時代だったと思います。

さて、そんな子供が大人になり、社会へ出てどう変わったか。
基本的には簡単には変わりません。「働いた対価」という側面が継続して私の中にありました。しかし、この頃からお金は私に対して牙を剥いてきます。

その内容は上記にて書いているので省略しますが、その時に私が感じたのは、お金というのは「人を縛り付けるもの」という側面もあるという事です。若いころだと
お菓子が欲しい⇒からお金が欲しい⇒お菓子を買う
という順序だったんですが、大人になった私は
バイクが欲しい⇒バイクを(お金を借りて)買う⇒お金を返す
という順序になってしまっていたので「お金を得ないといけない」
という一種の強迫観念に駆られていました。
そうですよね?だって無い所から金を出している。
鋼の錬金術師なら「等価交換の原則を無視して練成している」
つまり代償を払っていないんです。
んじゃその代償を誰が払うかって?そりゃ未来の自分ですね。
今の自分のために未来の自分が頑張る、それの無限ループです。
未来の自分が頑張る保証なんてどこにもないというのに。
おそらく、こういう事を皆さん経験しているから
「お金って怖い」って思うんだろなぁ…と今となっては認識出来ます。


お金が怖い。そう思う理由


人は何に対して恐怖を抱くのか?という話ですが
「知らない事が怖い」のではないでしょうか?
そんなに科学とか知らなかった頃は幽霊が本当にいると思ってましたし
未だに夜の世界とかは未経験なので、誘われると恐怖から全部断ってきました。
んじゃ、知れば良いんじゃね?
そう思えたのがコロナ禍で、あまりにもやる事が無くて考える時間が沢山ありました。そこで私なりにお金って何だろな?と勉強し始めたのがきっかけです。それこそ
・何故物々交換じゃダメなのか?
・何でこんなにキャッシュレス決済が推されているのか?
・お金を使わず生活する事は可能か?等
本当にしょうもない事ばかり勉強していました。
あとは「老後2000万円問題」も要因としてはあったと思います。
そうして今、ある程度自分なりの「お金の価値観」というものが出来上がり
そこに落ち着いています。

じゃあ、その「自分のお金の価値観」とは何ぞや?というのですが…
上手く説明出来ません。( ;∀;)
こういうブログって、比較的「正解」を追い求めてくる方が多いと思うんですよ。ただ、その人の価値観、家庭環境、収入面等。
いろんな要素が人によってあまりにも違いすぎて万人に受けるようになんて、とてもじゃないですが説明出来ません。
ですが、精一杯絞り出して下記3つにフォーカスしたいと思います。
・持ちすぎない
・貯めすぎない
・使いすぎない

お金の価値観1:持ちすぎない


「お金っていくらあれば満足?」
こう質問した際に大体返ってくる答えが
「あるに越した事はない」です。
「具体的にいくらあれば良い?」と聞くと返答に困るのがオチです。
自分は毎月いくらあれば生活に困らない、という快適なラインを
知る事で一種の安心をする事が出来ます。
5000兆円あればさすがに困らないでしょうね。

すごい煌びやかやわ。

ただ、5000兆円あったら絶対に不安は無くなるのでしょうか?
無くならないと思います。
もし本当に5000兆円手に入ったとして、次はこの5000兆円を無くさないようにするために強いストレスがかかります。
そして仮に5000兆円を得た後に5000兆円を失った場合に、5000兆円を得た時以上の喪失感に襲われます。
(5000兆円だとあまりにも非現実的なので今後5000兆円は使いません。)
なので、自分の心で扱える適正な金額を自分自身で持つこと。
これが大事だと感じます。

お金の価値観2・貯めすぎない


上記と結構似ています。
お金というのは血液と一緒とはよく言ったもので、循環させないと経済が回らないんですよ。日本の預貯金額って2000兆円近くあるらしいじゃないですか?これが循環したらどんな経済効果があるんんだろう?
ただ、今回は個人にフォーカスしたいと思います。
「持ちすぎない」と「貯めすぎない」は結構似てる項目になりますが、ある程度現金を「持った」ならば、自分の快適ゾーンに収まらないお金は「使ってしまえばいい」んですよ。ただ、ここでいう「使う」というのは浪費ではない事に使うべきです。
大体「浪費」と対をなすのが「投資」ですね。
この企画も日本経済新聞さんの企画なので投資は切っても切れない関係でしょう。しかし、今は「投資」ばかりに世間が寄せすぎているとも感じます。もちろん私も投資はしていますし今後も継続していきますが、投資なんて分からない事だらけです。運用会社も、責任の所在も、はては証券口座の作り方とか、新NISAになってどうのこうのとか。
上記は勉強で対処出来ますが、もっと身近な投資もありますね。
身近な世間にお金を落とす事です。

例としてあげるなら
・生活に無くなると不便になるお店とか交通機関
・地元の施設や団体への寄附
・適度な推し活(のめりこみ注意!!)等

「え~、これ無くなっちゃうの~。寂しい~」
そう言ったサービスにお金を落としましたか?
最初に言いましたが、お金は血液。企業も基本はお金が入ってこないと存続する理由はありません。理想だけで世界は回りません。
「それもある程度お金が貯まってからやろう」
ある程度っていくらですか?5000兆円ですか?
少額でもすぐやれると思うんですよ。
私も、少額ですがホームレスへ支援している団体への寄附を毎月しています。理由は明確で、ホームレスはいないに越した事はない。
ただ、言うだけで自分は何もしていなくて理想論を掲げてるだけ。
かといってそういう団体に入ってボランティアするのは大変そう。
じゃあシンプルに活動資金を寄附したら良いじゃない。
そんな動機でしたね。来年からは子供向けの団体への寄附もする予定で
今いろんなHPを見ています。
これを単純な理由で、少子化が進むと自分の老後に若者がいない。
しかし、我が家は双方に子供を作る気がなくこれも言ってるだけ。
かといってそういう団体に入ってボランティアするのは大変そう。
むしろ子供がかなり苦手。
じゃあシンプルに活動資金を寄附したら良いじゃない。
子供を育てたい、そう思う人に子育てしてほしい。そう思います。
私はしたくないです!!

お金の価値観3・使いすぎない

1と2でいろいろ言いました。
自分の快適なゾーンを見極めて、身の丈に合わないお金は
使うなり投資に回したら良い。
そして最後に「使いすぎない」
この3つを両立させるのって相当難易度高いんじゃないか?そう感じるかもしれません。これについては少し暴論になりますが
「使えるお金が無かったら使いすぎないよね?」
つまり「お金のために働くのを辞めたい」という事です。
「それが出来たら人間苦労しないんだよ!」
はいそうです、私も道半ばでございます。
お金って、あくまで自分たちが快適な暮らしをするうえで必要になる道具です。その道具を入手するために労働をしたり投資したりします。その道具を入手するために自分を犠牲にする必要はないんです。自分を犠牲にしてまで道具を得るメリットって何ですか?
無駄に出世競争したり、他と収入を争う必要もないんですよ。自身の快適なゾーンを探して
1:持ちすぎず
2:程良く使って貯めこみすぎず
3:自分が疲れない範囲で収入を得て使いすぎない
これが私の現状最適解です。
私が出世欲とか向上心がないのも影響していますけどね!!

最後に

上記で上手く説明出来たか自信は無いのですが
「生活に困らないレベルの収入を得て」
「1年くらい働けなくなっても大丈夫くらいの蓄えをして」
「それ以上は社会へ出て行ってもらう」
それが現在のスタイルです。
全くお金を使わないのもストレス貯まるので、我が家は食費だけは毎日がチートデーです。とても2人家庭とは思えない食費を叩き出しています。
逆にそれ以外はメリハリが効いており比較的支出が少ないです。
(光熱費が安すぎて同僚から「家で電気付けてる?」「風呂入ってる?」とか心配された事はあります。勿論使っています)
お金の快適ゾーンについては答えなんて無いので、自分で模索するしか無いですね。何事もトライ&エラーです。
・やらない後悔よりやる後悔
・やらない善よりやる偽善
好きな言葉です。

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