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本のガイド「夏の花」原民喜

 詩人であり小説家である原民喜(はらたみき)は、空襲の激しくなってきた東京から郷里の広島市に疎開していた。原爆の投下されたその瞬間に、家のなかの厠にいたため、彼は一命を拾った。彼の原爆体験をつづる「夏の花」は、原爆が炸裂するその前々日、新盆にあたる妻が眠る墓に参ろうとしたその日から記されている。

 即死した人ばかりではない、ということは知っていた。しかし、即死ではなかった人たちがどのように亡くなっていったのかを私は知らなかった。八月を迎え、戦争を振り返る月となり「夏の花」を読み、私は初めて、被爆者の死の実情を知った。

 崩壊した家の瓦礫のなかから、這い出た民喜は、同じく生き残った妹を伴って火から逃れようと河原のほうへ歩いていく。その途中で灌木のそばに蹲る中年の婦人を見かけ、魂の抜けはてたその顔に魂を吸われそうな心地になるが、それよりももっと奇怪な状況に限りなく出くわすことになる。夕方になっても火の手はおさまらず、夕闇の中に焔があざやかに浮き出てくる。潮が満ちだして来たので、彼は河原を立ち退いて土手のほうへと移っていった。窪地を見つけるとそこへ入っていく。すぐ側に傷ついた女子学生が横になっていた。女子学生のひとりが、火はこちらへ燃えて来そうかと尋ねてくる。立ち去った河原のほうから断末魔が聞こえてくる。

「河原の方では、誰かよほど元気な若者らしいものの、断末魔のうめき声がする。その声は八方に木霊し、走り廻っている。『水を、水を、水をください、……ああ、……お母さん、……姉さん、……光っちゃん』と声は全身全霊を引裂くように迸り、『ウウ、ウウ』と苦痛に追いまくられる喘ぎが弱々しくそれに絡んでいる。」

 原爆により落命した人々の死んでいく状況というと、私の勝手な想像で誠に申し訳ないが、声を出す余力もなく虫の息も絶え絶えという有様を想像していて、まさか大声をあげて走り廻っているとは全く思いもつかなかった。先週の八月十五日や、八月六日、九日とは距離を置いて原爆のことを読みたくて「夏の花」を買った。

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