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好きな服を着る

鏡に映る自分の姿を見て愕然とした。
どの服も、ちっとも似合ってない。
とっかえひっかえ試してみてもどれもイマイチ。
私、こんな服ばかり着ていたの?

プロフィール用の写真を撮ろうと、撮影時の服を決めていた時のこと。
映るのはおそらく上半身だけ、切り取られた長方形のフレームをイメージして自分の姿を見てみるけどそこにいるのは茫洋とした無個性な女だった。

写真に撮られる自分を客観視しようとしてようやく気が付く。
社会に、世間に馴染もうとして「自分らしい」服じゃなくて「日本の街にいるような」服ばかりを選んでいたことに。

別に「自分らしい」服じゃなくてもそれが「なりたい自分」が着ていそうな服でも「自分が憧れる人」が着ている服でもよかったはず。
それが「これを着ていればなんとなくちゃんと見える」服を選んでいるからばつが悪い。

好きな服と似合う服は違う。
でも、私が選んでいるのは「好き」でも「似合う」でもどちらでもなかった。

私は、どうしたいのか。どうありたいのか。
何のメッセージも感じられない自分の姿を見て途方に暮れた。

人からどう見られるかを意識することは悪いことじゃない。
でもそれは「こんな自分でいたい」という目的があればこそ生きることであって、「なんとなく、おかしくなければいい」という自分に見られたい女が鏡の中に居た。

いつからこんな風になっちゃったんだっけ?
もっと昔は楽しんで服を着ていたはず。
着てみたい服がたくさんあって、着てみたいコーディネイトが頭の中をいくつもめぐって、いつもお財布の中身はお洋服代に消えていくからいかに工夫しておしゃれするかということばっかり考えていた。

それが、年齢が上がるにつれて好きな服が必ずしも似合うわけじゃないことに気が付き「それ、似合うよ」「あなたらしい」と言われる服を選ぶようになった。

それが今や。
好きでも似合うでもない服を着ている。

「それで、あなたはどうしたいの?」
鏡の中の自分が他人事のように私に問いかける。

それで、私はどうしたいんだろう。




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