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シモネタへの見解

僕の職場であるラジオ局は、リスナーの投稿を紹介する番組がほとんどです。

古式ゆかしいAM局ゆえ、それらをベースにした番組作りになるのは当然として、投稿するリスナーもパーソナリティが好みそうな、広げるのが得意そうな内容に寄せていくのは自然の摂理です。

とりわけ我が陣営では、平日の午前中と昼下がりのワイド番組には、かなりシモネタ方面の内容が多く寄せられます。
パーソナリティがそちら方面に明るかったり、切り返しの達人であるということから生まれる共犯関係です。

本来「シモネタ」とは、落語などの古典芸能では「排泄」にまつわるものを指し、「安易に笑いが取れるため芸が伸びない」と避けられる傾向にありました。

またこれとは別に、肉体関係や色恋など家庭内で話しづらいものも、現在では「シモネタ」の範疇に入ります。
とりあえず芸として見れば、「アングラ」「邪道」と呼ばれる宿命にはあります。

リスナーは別に芸を磨く必要もないですし、面白いと感じたから無邪気に送るわけなので、番組で取り上げるかどうかは、パーソナリティやスタッフが話を広げやすいと考えるか否か、というところがポイントです。

ここで勘違いしてはならないのは「シモネタだから採用している」というわけじゃないことです。
面白いか、話が広がるか、番組がジャッジするのはそれだけです。

シモネタでも面白くなければ当然採用されませんし、番組やパーソナリティにフィットしないのにひたすらシモネタを送り続けているとしたら、それはそもそもセンスがないというハナシになります。

放送局には当の番組スタッフ以外にも多くの人が働いており、もちろんシモネタを全否定する潔癖な人もいます。

でも社内で評価される番組というのは、編成的に番組とリスナーの距離感が近く災害など非常時での呼びかけに効果があるとか、営業的に集客力があるとか、シモネタの有無とは別の座標だったりします。

仮にシモネタを避け、清く正しく慎ましい番組作りを志向しても、誰のニーズに即しているのかわからなければ、編成としては必要ないとジャッジすることもあります。

いずれにしても、シモネタは番組を構成するひとつの題材に過ぎず「ないから正しい」「あるのが当然」という次元のハナシではないのです。

僕自身は、他人を傷つけずに面白くなるならOKという人間なので、シモネタについては面白ければアリだし、単に個人の欲望を開放するだけのものならシカトするのみです。

ただ家庭内でおおっぴらに話せないことには、笑いを取ること以外にも価値があると考えています。

例えば身体機能、そこから引き起こされるメンタルの変化については、男性にしかわからない、女性にしか共有できない問題もあります。
20代にはまるでわからなかったけど、50歳を過ぎて身に沁みるような変化があります。

多様性が叫ばれてマイノリティの問題はしっかり論じられる時代なのに、人口の半分が直面する話題がオブラートに包まれて共有されないのは不思議なことです。

たとえ自分ごとでなくても「いつ自分の身に起こるかもしれない」と振り返ったり、また他人に対して「この人はこういう問題を抱えてるかも」と気付いてあげられるのは幸せなことです。

ということで、面白ければシモネタ万歳です()

ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。