中山道10 坂本宿→追分宿
▽1991年3月
23歳 30年勤めた会社の入社前に、東海道を歩きました。
▽2021年3月
53歳 30年勤めた会社の退職後に、中山道を歩き始めました。
京都まで一気に歩く、"気力"、"体力"、"時の運"、が無いので、行けるとこまで歩く事を繰り返します。
2021.05.15
1.坂本宿
坂本宿、碓氷峠の手前の宿場街。
街全体から当時の雰囲気が感じられます。
白壁の落ち着いた佇まい。
落ち着きますね。
そしてどの家にも屋号が掛けられてます。
美容室のかなやさん、
同じ屋号で現役で営業されている、
昔も髪切りだったとしたら、
物語が書けそうですね。
お蚕様のお屋敷。
碓氷峠超え、信濃の國もあるのか楽しみです。
こちらは確か本陣跡。
看板が特徴的。
中山道歩きはじめてからはじめて見ました。
何屋さんだったのでしょう。
坂本宿はこちらまで、さて峠越えすっぺ!
写真のスピード落とせの看板の隣のお店、
食堂で結構賑わってました。
峠越える前に腹ごしらえするには、
ベストポジションです。
なんだなんだ、
峠路雀荘!
峠登る前に打つのか?
峠降りた後に打つのか?
2.碓氷峠
この標識!
何に注意するんだ?
碓氷峠を攻める前の、ハーレーおじさん軍団たち。同世代くらいなんだろうなぁ。
さて山道に入ります。
鳥獣避けの電流が流れてて通るのにヒヤヒヤ。
プチ大仁田厚気分…。
おおっ、なかなかじゃないか。
わかりやすい案内板があります。
ピークの熊野神社まで標高差700〜800m
水平距離5km
結構あるじゃないか…
私はすっかり勘違いしてました。
半年前に碓氷峠の鉄道廃線跡を歩いた時の傾斜を記憶してて、
同じ様な感じで軽井沢まで緩やかに登るなら楽勝と思い込んで、
本日はスタート地点の松井田宿から水平距離で30km以上歩いた先の追分宿に
宿泊予約をしてしまっていた…普通のペースではたどり着かない・・・・
焦った私は、結構な早足で登りはじめます。
頻繁に案内看板が現れ、飽きることはありません。いい路です。
ごく稀に見下ろせる麓の姿、殆ど景色は楽しめないので、黙々と樹々の美しさを楽しみます。
突然あらわれる奇妙な岩。柱状節理という、火成岩が冷めるときにできるものらしいです。
ここで同じガイドブック持った中高年のご夫婦と会い、又何処かで会いましょうと、別れを告げ先を急ぎます。今夜は軽井沢泊まりで、奥様革靴みたいのはいてたけど、大丈夫だったのかなぁ・・・・。
十返舎一九さんの句、意味が理解出来なかった。
私、まだまだ修行が足りません。
おおっ坂本宿だっ!
獲得標高に大満足、さらに急足で進みます。
一茶の一句、これはなんとなく理解出来た。
馬頭観音、毎度毎度、出会う度に護られていると感じます。
ありがとうございます。
この穴から水蒸気が出てくるので、ここだけ苔が生えてます。
どこから来るのかね?
げっ、まだ6.4kmか…
この後さらに焦り、急ぎ過ぎたあまり、右膝の古傷を痛めてしまいました。悲惨な山歩きのはじまりはじまり。
左膝に負担をかけない様に歩みを続けます。
杉の根あたりから上に向かって黒く変色してます。この世の終わりの様な風景、不気味でした。立ち枯れでしょうか、何本かは倒れてました。
広葉樹が広がってきて、一気に明るくなります。広葉樹万歳!!!!
この先に戦の戦術で路を狭くして待ち伏せした場所があるらしいです。
写真の様に本当に狭くなってて感動!
でも、この程度で防戦できるのか?
神様に見護られ、膝の痛みと闘いながら前に進みます。
時々咲いてる、ツツジみたいな赤い花。
ここからめがね橋に行けるんだ。
これは、安政遠足といい、昔マラソンみたいな競技があって、今日のルートがそれに当たります。これは、その案内看板。
なんでこんな所にバスが?前後にバスが走れそうな道路一切なし。
隣には心霊スポットみたいな廃墟も・・・・。
地面に中山道の案内が。
小さな小川をまたぎます。
こわっ!老婆はおらず。
足よりも大きな落ち葉が、樹木の種類も高原みたいになってきます。
霧の中に入ってきました。そういえば軽井沢って霧のイメージがあるなあ。
おっ熊も住んでるのね。
と、いきなり峠に到着。
3.さようなら上毛・こんにちは信濃
熊野神社・熊野皇大神社に参拝。階段がまともに登れない。小刻みに段を踏んでなんとか本殿へ。
県境に建てられ、群馬県側と長野県側が別々の神社になってます。
階段と門は共用。
右が群馬・熊野神社、左が長野・熊野皇大神社。
こちら、群馬・熊野神社。
こちら、長野・熊野皇大神社。
案内文も軽井沢町にバトンタッチ。
クマザサだ、高原ですね。
道間違えて旧中山道から逸れちゃったのですが、お陰でこのあと、旧軽井沢とは別の雰囲気がある、かなり立派な別荘が道沿いに続いている事を発見しました。
今は昔と違って、人が多い旧軽井沢方面より、このあたりの別荘の方が、落ち着いている様な気がします。
マンション建設中。
4.軽井沢宿
芥川龍之介、室生犀星、堀辰雄、名立たる文人たちが、暑さと編集者から逃れるため?ここで執筆を行ったそうです。
お気持ちの道、調べても由来が出てきません。
商店街に中山道っぽさがなかなか見当たりません。
軽井沢文化が中山道を圧倒してる感じ。
観光客が早く戻りますように。
別荘を眺めながら旧軽井沢に。
なんだこの表札は?
でた~、私の大好きなロータリー!
こちらは沖縄の糸満ロータリーです↓
糸満大好きなのでご興味のある方はこちらもどうぞ。
シェ草間、かなりいい感じです。
ワインをのんびり飲みながら、ぼけぇ〜っと時間を過ごしてみたい。
軽井沢酵素風呂…。
着眼点がユニークですね。
那須や日光にもある、茶色いセブンイレブン。
だけどカラフルな看板もある。景観条例変わったのか、そもそも景観条例なんて、なかったのか。
ワタベウエディングだ!
なぜ人々は、軽井沢で結婚式を挙げたがるのだろうか?
5.沓掛宿
桜がまだ咲いてる、嬉しい!
昭和っぽい鉄橋をくぐり、中軽井沢駅の近くを通ります。
脚が痛くて余裕なく近くまで行けませんでしたが、中軽井沢駅、新幹線の駅みたいなゴージャス感をプンプン匂わせてました。
調べたら、くつかけテラスという、図書館の交流施設が併設されてました。
長野の信金・銀行だ。当たり前ですね、ここは長野県。
お洒落なクリーニング屋さん、ここは沓掛宿のはずなのですが、それらしい街並みは無いです。
碓氷峠越えたからか、軽井沢といい、街道色薄いです…。
痛みと闘いながら、花々に癒されて、ひたすら前に進みます。
神様ありがとう!
うわっ
寄りたい!食べたい!飲みたい!
残念ながら宿の方が私のチェックインを
待ってるのでスルー。
女街道と合流。
関所を女性が通過するのが結構面倒な様で、エスケープルートを、女街道または姫街道と読んでいました。
ストレートな響きですね。
6.鬼瓦職人
なんか鬼瓦がたくさん置いてある。
きっと鬼瓦職人屋敷なんだろうなぁ。
カッコいい家紋、ようやく街道らしくなってきました。
いいぞいいぞ!
シンプルかつ省エネな信号。
帰宅して信号機マニアの長男に自慢したら、名古屋に凄いのがあると教えられたのがコレ↓
これ歩行者無視してる。
最近LEDタイプに機種変したのがコチラ↓
さて、進みます。
鬼瓦職人さんの影響でしょうか、家紋付き鬼瓦大連発!金の家紋が1番凄そう!
立派な馬頭観音様。
鬼瓦に鳥が!
ツツジに囲まれた馬頭観音様。
おっ、ここにもASANOYAがある。
食べたい方はコチラ↓
時々振り向くと、東京までの距離がわかります。まだ1/3ですね。
京都から歩いてきた人は、よっしゃ、ほな、あと少し!と気合入りはるんでっしゃろね。
あれっ標高1,000mいってなかったんだ。
ここでウンチクをひとつ。
見づらいですがガソリンスタンドが、手前と奥に2件並んでます。
この先には坂道があります。
坂道の上にガソリンスタンド作ると、減速しているから入りやすいんですって。
7.追分宿
ついに追分宿に入りました。
なんか建物がみんなお洒落。
立派!
おおっ、これは直塗り看板だ!
直塗り看板といえば沖縄。
沖縄は台風が多く風が強いせいか、看板を作らずに壁に直に塗る習慣があります。
調査しましたので詳しくはコチラ↓
いい名前の橋だなぁ。
これは夢の箱、いろんな本が置かれてて、何箇所もあります。
タイムスリップしそうな雰囲気。
ついたぁ…
油谷さん。
旅館の跡地を、古本屋さんがリノベーションして、古本屋・アーティストにテナント貸・宿泊施設・喫茶、が一緒になっている。
昔は旅行代理店との契約もあったそうです。
まともに階段が登れないくらいだったけど、お腹が空いて、燃料切れ寸前なので、脚を引きずりながら、コチラの店に。
外観はこんなですが、メニューは洋食。カウンターでまったりと、赤ワインをすすってました。
カウンターの奥の神棚の天井に"雲"の文字が。
なんで?とマスターに聴くと、
本来神様の上に人が住んでは駄目だけど、
2階に住んでいるのでせめて気持ちだけ
"雲"と貼っているらしいです。
粋ですね!
8.信濃追分文化磁場"油や"
門限の22:30前に宿に帰還。
フロントの方もおらず、本日の宿泊客は私だけ、貸切状態!
ぶらぶら館内を散策。
古本・雑貨・アート・レコード
ほっとする空間。
こちらがロビー。
2階廊下のギャラリー。
この作品いいなぁ。
しっくりきます。
明日には脚が回復しますように、
膝に祈りを込めて就寝。
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