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日光道中6 大沢宿→鉢石宿〔完〕

1991~1993年 東海道五十三次 完歩
2021年 春~夏 中山道六十九次 完歩
2021年 秋 甲州道中四十四次 完歩

2021年 秋~冬 日光道中二十一次
どんな旅になるか楽しみです!

2121.12.25

1.日光道中最後の朝

本日のルートにはコメダ珈琲が無いので、さいたま新都心駅近くのコンビニエンスストアで、熱々のコーヒーを買い、宇都宮線車内で食べることに。
この駅は何度見ても、無機質な様で飽きなくて美しくて大好きです。


期間限定でピアノが置かれています。近くに埼玉スーパーアリーナがあり、ライブがあると、出演するミュージシャンの楽曲をピアノで披露する人がいて、いい感じで盛り上がってます。


こちらは"きっぷうりば"。"切符売場"ではなく平仮名表記なんですね。最近"みどりの窓口"が閉鎖された影響で、12台ある券売機の内訳が改札口側から、
 チャージ専用3台
 きっぷ専用4台
 定期券専用2台
 指定券その他専用3台 
となってます。一番右側の券売機は遠隔で人間が出て対応も可能なタイプ。この人間もいつかはロボットになるのかぁ…。
10年.20年.30年後はどうなるのでしょうね。
人口減少とテクノロジーの進化は、食物連鎖の如く、連動してますね。
顔認証になったら券売機も要らなくなるのか、など考えるだけで楽しみです!


これ、買う勇気ありません…。


ローソンでコーヒーを買った時の出来事。私たちの前に並んでいる女性と、店員さんが何やら話し込んでて、途中から聴いた会話は、
女性「何時頃に届きます?」
店員「05:30頃ですが、それぞれ3部ずつしか無いんですよ」
なんだなんだ?コンビニ大手3社の中で、ローソンだけはコーヒーを店員さんが淹れて出す方針、コーヒー出すタイミングで、何故か私たち夫婦もその会話に巻き込まれ始めます。

結論から言うと、女性は羽生結弦のファンで、出場翌日のスポーツ新聞がすぐ売切れるので買いに来てたと言う話でした。


宇都宮到着、日光線に乗り換えるのですが、ホームがレトロ風になってます。


ガラガラの日光線に乗り、歩き始める場所まで3km弱歩く事を覚悟してたら、運良くバスが来たので、あっという間に日光道中最終日がスタートできました。


2.大沢宿

最初は国道119号を歩きます。


水神の石碑がありました。大きな川が無いで、水害除けではなく、雨乞いをしたのでしょうね。


不思議な雲が広がってます。


二宮金次郎の台座が大谷石。
そういえば大沢宿の中心はどこだったのか、本陣跡はどこだったのか、きっと何も表示が無かった気がします、ぼ〜っと歩いてしまいました。


3.杉並木と生きる

この表札をこの後何度も目にします、これより杉並木の保護地域。


こんな感じの道が続きます。一枚目の写真の奥から自転車で向かってくるのは通学途中の中学生、元気に挨拶してすれ違っていきました。


歩道は巨大な杉の木の間を歩いたり、まるで別世界に迷い込んでいる感じ。


八坂神社。


下から杉を見上げると、こんな感じ。


杉並木の隣に小さな川が、木々はこの様な水から栄養を得ていたのでしょうね。


廃屋の中って気になりますよね。


杉並木を外から眺めるとこんな感じ、私は少し離れた場所から眺める杉並木も好きです。



ここからは車両通行止め、街道歩き天国が始まります!


向こうから来るのはランナー。


ランナーやウォーカーが作った獣道が出来てます。この緩やかな曲線は何なんでしょうね。


道は杉の絨毯みたいです。


交通安全地蔵に、赤いマムシ草の実、杉の根に生える苔の食感はフサフサ。
マムシ草の実は、甲州道中笹子峠でたくさん見ました。


水圧を調整する接合井が、定期的に現れます。


この看板があると言うことは、国道なのですね!


一里塚、杉並木沿いの一里塚は、当然の如く両塚が残ってます。表札に日光東照宮と書いてあるのは、杉並木の所有者が日光東照宮だからです。この道が参道になるのかなぁ。


車両通行止め区間はここまで。


延命地蔵尊、隣に不思議な石柱が、いろんなものを持ったお地蔵さんが、柱の周りを一周してます。


石仏群の奥の畑の横の道沿いに、小さな赤い鳥居があると家内が発見、見に行くと驚きの光景が。



お稲荷様みたいに、どこまでも続く赤い鳥居、何だったのか、謎のままです。


再び国道119号に合流。


立派な石蔵が続きます。


国道と並走すると、道の両脇に歩道を歩くことになります。缶を並べた不思議な柵、馬頭観音、シダ類の歩道、車が来ないので、観察しながら楽しく歩けます。


カエル様、家々の玄関先に鎮座し、守り神として崇められています。


背中にもう一匹、乗ってますね。私の田舎はカエルがたくさんいたのでわかるのですが、下が雌で上が雄です。


時々この様に、ワイヤーと角材で括られた杉の木のを見ます、空気が入って開いてしまうのを防いでいるのでしょうか?


この風景いつまでも見ていられそう、心に残る一枚が撮れました。


水路と小川の立体交差。


再び国道に合流。
石田屋の甚五郎煎餅の看板が登場、ここに工場があるんですね。宇都宮支店に勤務している頃、お中元やお歳暮で、会社に一斗缶に入った甚五郎煎餅がよく届いてました。残業時間になると、一斗缶が回ってきてて、みんなで当たり前の様にバリバリボリボリ食べていましたが、今思うと不思議な光景でした。


甚五郎煎餅 一斗缶 220枚入 
標準価格3,996円 消費税込


道筋に水路があります。


途中から、道一面に大量の水が流れてきました。


原因はこれ、杉の落ち葉です。

ここにくる途中2箇所で、沿道に住む方が、水路に落ちた杉の葉を掃除してました。
挨拶してお話をしていると、「すぎっぱ(杉の葉のこと)が大変なんだよ、もうこんな事、毎年毎年やりたくない、本当は土地売って引っ越したいけど、そうもいかない事情があり…」といった感じで本当に大変そうで、返す言葉がありませんでした。

遊びて来る私たちは一瞬の風情を楽しんでいますが、住んでいる方々は、生活がかかっているので、それどころではない事を痛感しました。歩いてて思いつきみたいに、「この町は風情が無いなんて」、簡単には言ってはいけませんね。


4.日光杉並木オーナー

ところどころの杉の木に、黒い札がかけられています。


日光杉並木オーナー、法人名や個人名が書かれてます。
栃木県に1,000万円支払うと杉1本のオーナーになる事が出来る制度。2021年3月31日現在、契約本数は557本。運用益は杉の保全などに使われ、解約すると返金されます。


再び車両規制区間に。


一里塚の表札の後ろに不思議な木が。


大人が立ったまま入れる高さ、並木ホテルと呼ばれてます。夢中になってたら、一里塚がどれだか確認するの忘れちゃいました。


またもや登場、接合井。杉並木の水路の一里塚みたいです。


振り返るとひっそりと、119号の標札がありました。


東武鉄道の高架です。通過した後にSLの汽笛が聞こえて来ました!踏切も鳴ってます!


進むのやめて待ち伏せしてたら、上りも下りも電車が通過…。
調べていたらこの区間は通過せずに、会津西街道の方面に向かう路線に走っているそうです。


左から、大真名子山・小真名子山・女峰山・赤薙山、何度見ても美しくて、見入ってました。



5.今市宿

追分地蔵、例幣使街道と合流します。彼方は中山道倉賀野宿、懐かしい。


二十三夜の月待ちのお祈りの事を、おサンヤサマ、と呼んでいたそうです。


左が日光道中、右が例幣使街道。


大真名子山が見えます、山岳リゾート・ナショナルパーク日光の玄関口!


二宮尊徳=二宮金次郎さんの墓。


本陣跡は道の駅、残念ながら日光街道の説明はありませんでした…。


紅白のイチゴ、こうすると贈答用として高く売れますね!


ゆばむすび。道の駅はいろいろ買っちゃうデパ地下みたいな、値頃感崩壊&財布全開になる、魔法にかかります。


渡邊佐平商店。奥に見える観覧車は、ショッピングセンターのアトラクション。


左奥に男体山が見えてきました。


大火があり建物は殆ど残ってませんが、風情ある商店は残ってます。


今市の総鎮守、瀧尾神社。


日光杉並木街道の案内看板、右上の上空写真を拡大すると、



右下から中央に伸びる杉並木が日光道中、左下から中央に伸びる杉並木が例幣使街道、合流地点が追分地蔵。その上の杉並木が途切れている辺りが今市宿の中心地、今は再び杉並木が始まる位置にいて、さらに奥の鉢石宿を目指します。


この辺りから、坂をぐいぐい登っていきます。


Google MAPで宇都宮から日光東照宮まで地図検索すると、標高差が出てきます。ご覧の通り最後に一気に500m近く上昇。

いつもはグイグイ歩けるのに、今日はどうして進まないのだろう、年末で疲れているのかね?など会話してましたが、理由がわかりました、気付かなかったのですが、地味に結構な勾配だったのですね。


杉並木公園、公園に入ると杉並木が歩けなくなるので、再び杉並木に戻ります。


三本に分かれる杉、寒桜、火の見櫓。杉が多くて火の見櫓はなかなか活躍できそうにありません。


道端の野菜売場、お節料理で使います。


6.杉並木と石蔵

杉並木と石蔵の風景もこれで見納め、日光道中らしい記憶に残る情景でした。


7.最後の杉並木

最大級の切株跡、石畳の杉並木、根本に流れる水、屋久島みたいになってきます。
ちなみに日光の杉並木は樹齢300年、屋久杉は樹齢1,000年以上です。


迫力満点。


杉の実?ミニチュアの"松ぼっくり"みたいですね。


日本の道100選の石碑。


髙龗神社の石燈籠。


味わい深い石仏群。


子宝の石碑、左端のがキュート!



天然氷の製氷所、杉並木氷ですね。


杉並木の物語、1625~1648年にかけて23年がかりで植栽された、国家プロジェクトです。


石畳の道もここまで、街灯があったので火が灯ると夜は幻想的でしょうね。


常夜灯、日光道中にはあまり残されおらず、貴重な存在。


この辺りは、右に東武日光線、左にJR日光線と日光宇都宮道路、そして国道119号が密集する、土地がない隘路であるため、歩道も狭く慎重に歩く事になります。


道路スレスレまで伸びる根本、いや違う、人間が根本を削っていたのです。


この生岡神社は、線路と日光宇都宮道路に参道が遮られてます。心が痛みますが、住んでいる人は文明の恩恵を受けている事実もあるので、一限の通行人がどうこう言えません。

今回杉の落ち葉を掃除されている方と話をして痛感しました。私は一限の通行人でしか無い事を認識して、残された現実を考える必要があると。


明治天皇御小休所。


男体山が近づいてきます。前職で宇都宮支店に12年勤務した際、毎年8/1の午前0時から男体山山頂を目指す、登拝祭という山開きの神事があり、毎年暗い中を昇り、御来光を楽しんでいました。天の川や流れ星が楽しめる年があれば、終始雨が降り苦行の様な年もあったり、20代の良き想い出でした。


日光市街地に入る手前の風景。


魅力的なお店が登場、恒例となった、食堂のナルト入り醤油ラーメンとチャーハンでの腹ごしらえと燃料補給。


さぁ、杉並木も残り僅か、左右に電車が行き来してます。


JR日光線をくぐり、この辺りで杉並木は終わります。


JR日光駅の近くに、見たことがないくらい小さな歩道橋が、階段は所々グラグラしてます。


登ると美しい日光プチパノラマが楽しめますが、


人が来るとすれ違うのがやっと、フラフラすると転落しそうですが、吊り橋とは違った緊張感があるいい橋でした。


JR日光駅、この建物好きです。


8.鉢石宿

さぁ、坂道にある商店街をのぼると、終着地点の神橋です。


日光らしい、材木を積んだトラックです。


こちらが本陣跡、残念ながら看板などはありません。


前職の後輩高橋さんの実家、彼は今熊谷に住んでおり、中山道を歩いた時に、熊谷宿→深谷宿間を同行してもらいました。


旧日光市役所庁舎、元々は1919年に外国人観光客向けに造られた"大名ホテル"、進駐軍の社交場を経て、1952年に日光市に寄贈され市役所庁舎として使われ、2006年に登録有形文化財に指定。2006年、今市市などとの合併後、市役所機能は旧今市市役所に移転し、現在は日光庁舎として利用されています。


お気に入りの羊羹屋さん。


多くのお土産屋さんを見ながら、この建物が見えると、まもなく終点の神橋。


9.神橋

到着しました。
中山道・甲州道中・日光道中、今年完歩した時に、共通して感じるのですが、やった〜!という達成感になりません。
どちらかと言うと、終わってしまった、寂しいな、次はいつからどこを歩こうか、みたいになります。
私が変わった性格なのかもしれませんね…。


とはいえ嬉しくないわけありません!
神橋を楽しみましょう!


下乗?初めて見ました。
読んで字の如く、これより先は馬や馬車から下りなさいという意味でした。


いろんな角度からみた神橋。



10.大猷院

さてと、観光します!輪王寺・東照宮・二荒山神社は入口だけ通り、本日は一番奥にある、三代目・徳川家光公霊廟"大猷院"を目指します。


仁王門、口を開いた"阿形"と口を閉じた"吽形"の仁王像がお出迎え。


豪華絢爛な手水舎。


二天門、見事でした!


夜叉門。


唐門、この先は撮影禁止。
丁度、三七〇年御遠忌で、家光公御尊像御開帳期間でした。


皇嘉門、この先は入れません。
大猷院全体が黒を基調にしているのは、家康公に気を遣い、東照宮より地味にする為でした。


11.黄昏の帰路

さて、日光駅に戻り帰宅の途に。


いつの間にか撮られてましたが、魂が何処かに行っちゃってます。黄昏ているのか、次の奥州道中の事を考えているのか、怒涛の一年間が終わったなと満足しているのか、わかりません。


JR日光線からみた杉並木。


JR宇都宮線からみた夕陽。


次は、年明け極寒の奥州道中です。

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