北国街道6 田中宿→追分宿〔完〕
自然の多い街道を歩きたい。
三国街道と北国街道が思い浮かび、善光寺参りをしながら歩ける北国街道を選択。今まで江戸を目指し街道を歩いた事がなかったので、上越高田宿から南に向け出発します。
2022.09.02
1.スタート地点まで
毎回新幹線でのコンビニ朝食は飽きるでの、家からバナナやドーナッツを持ち込みました。贅沢を言ってはいけませんが、飽きてしまいますね。
軽井沢からしなの鉄道に乗り換えて、通学中の高校生と共に移動し田中駅に到着。
2.田中宿
田中宿は区画整理で道幅が拡張され、江戸時代の面影を感じる事があまりできませんが、昭和初期を感じさせる建物が、随所に残っています。
3.火の見櫓と半鐘
見惚れる様な風情溢れる建物が、ふっと現れ、そこには何の説明書きもありません。
何もないから、その建物の歴史を勝手に想像するのも、街道歩きの楽しみ方です。
長野県パトロール。
街道沿いの多くの会社には、長野県パトロールのステッカーが貼られています。セコムやアルソックのシールと同じで、長野県の安心の証なのでしょうね。見た感じでは、会社の3割近くに貼られていた印象があります。
長野県は防災意識が高いのか、火の見櫓が圧倒的に多かったのですが、今歩いている地域は、半鐘とよばれる小型の鐘が要所に置かれています。
鐘をたたくハンマーも近くに置いてあります。
4.坂を昇る
火の見櫓の中から見上げた事が無かったのですが、街道の際にあったので覗いてみました。
工事用の柵があったためか、SF映画の秘密基地ロケット発射台の様でした。
今日歩き始めてから、じわじわと標高が上がっています。田中宿の標高が約500m、坂道は大変ですが標高が高くなるのは、達成感が数値化されるので、気持ちが良いものです。
5.屋根と苔
しなの鉄道から風景を眺めていると、緑色がかった屋根の家が目につきます。何だろうと思っていたら、なんとそれは屋根に生えた苔。
手入れをしないと着いてしまうのか、気候と関係あるのか、とても不思議な光景でした。
青木神社は個性的。
鳥居が青木なので緑色?社殿の正面がお城のような、鯱鉾付の唐破風造り。鳥居と社殿は、21回も修復が行われているので、新しい物好きなのかも。
6.脇本陣の中
旧小諸本陣はなかなかの年季が入った建物で、現在令和の大修理で見学ができません。次に来る時の楽しみができました。
脇本陣跡くめや。
最近小諸市が管理してリニューアル、現在は向かって左側が宿泊施設、右側が茶屋になってます。スタッフから説明を受けていると、お部屋を見学しませんかと誘われ、3組が宿泊できる部屋を、丁寧にご案内頂きました。
雰囲気を残し、かつシンプルな造りで清潔、ここは泊まってみたいです。
7.小諸宿
本陣から離れた場所から、小諸宿の商店街が広がり始めます。ここまで距離が長く続いている宿場町は珍しく、街の規模の大きさを感じました。
この付近は荒町。
迫力満点の建物が多く残っています。小諸の街の底力を感じました。
昼食会場で注文を取りに来たお母さん、隣の常連さんの話によると、なんと95歳!
炒飯が食べ終わった頃にスープが出てくるのはご愛嬌。お母さんを尊敬する以上に、お母さんを取り巻く従業員さんや、お客さんの暖かい受け答えに感動しました。
8.乙女
小諸の町を過ぎて、久々の下り坂を進みます。長閑な風景から癒しをいただきました。
乙女という地名、日光道中の間々田宿にもありました。可愛い地名はほっこりしますね。
9.コスモス街道
終わりが近づいてきました。坂道は相変わらず続いている中、立派な蔵が残っている地区を進みます。
国道18号とのつきつ離れつの絡みもあと少し。
1番きつい坂を昇り終えました。
振り返った風景が美しく、北国街道との別れが惜しくなってきます。
コスモスが咲いてます。
古いですが、昭和のヒットソング、狩人のコスモス街道のサビは、
♪右は越後にゆく北の道
♫左は木曽に行く中山道
この台詞の舞台がゴールです。
10.入浴
温泉に入りたく、街道からキャベツ畑の中を寄り道し、洗い場が4つくらいの小さな温泉、大谷地鉱泉に到着。
受付をされているお母さんも、昼食のお店と同じで、90歳近くと思われる風貌。お客さんから声かけられないと、気付かないのですが、お客さんに支えられ一人で切り盛りしてます。風呂場は物凄く清潔で快適、誰があそこまで綺麗に掃除しているのか、不思議な温泉でした。
気温は16℃、冷たい雨が降りやまず、浅間山は姿を見せません。
中山道を歩いた時も、ずっと雨や曇りで拝む事が出来ず、次回の楽しみがまた増えました。
11.追分宿
ゴールが思っていたより早く見えてきました。ゴールを目指して焦ったり歩いてたのに、贅沢な行動ですよね。
雨に始まり、雨に終わった北国街道。
越後・信濃の風景に心癒され、身は鍛えられました。
中山道を歩いた際に、碓氷峠で膝を痛め、階段もまともに昇れない状態で宿泊した宿。
その姿を哀れんだ宿の方が、翌朝早い出発を知っており、夜中の間にテーピング・痛み止め・塩飴・湿布など一式を、部屋の前に置いてくださったのです!
今日は休館日の様で挨拶出来ず、あの時のご恩は一生忘れません。
駅まで30分くらい、電車の時間が迫っており、全力で歩き切りました。
ありがとうございました、北国街道!
次は三国街道に挑戦します。
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