奥州道中2 喜連川宿→大田原宿
1991~1993年 東海道五十三次 完歩
2021年 春~夏 中山道六十九次 完歩
2021年 秋 甲州道中四十四次 完歩
2021年 秋~冬 日光道中二十一次 完歩2022年 冬 奥州道中十次
→五街道完歩に向け、北に向かいます
2022.01.14
1.出発前夜
出発前夜に日本橋付近を通過。
近くの首都高速江戸橋ランプの出入口は、日本橋付近の道路地下化工事で封鎖されており、写真の風景が大きく変わるのが楽しみです。
日本橋らしい風景に見惚れます。
中山道と日光道中を歩く際に早朝に歩きましたが、夜は全く違う顔です。
街道は飽きる事がありませんね、あぁ、翌朝始発なので早く帰らねば、もう22時を過ぎている…。
僅かな睡眠後の出発の朝、さいたま新都心で乗り換え中に暇なので駅ナカ散策。ベビーカーのレンタルを発見、いろんなビジネスがありますね!
朝食は車内でサンドイッチとホットドッグ、本当は道中のカフェでまったりしたいのですが、今日からのルートではそれは期待できません。
氏家駅に到着、バスの待ち時間に待合室で人の動きを見ていて、何か懐かしい風景だなと感じました。
改札口の目の前にホームがあり、飛び乗れる駅って数少なくなってきてます。改札口の橋上化や線路の高架化が要因。この形式の駅がいつまでも残ります様に。
2.喜連川宿
バスで喜連川宿に到着、歩き始めます。
喜連川興行銀行跡は観光案内所に。
この他にも個性豊かな建物やお店がいくつもありました。
喜連川城の大手門、城跡は現在お丸山公園になってます。
桝形と立派な蔵。
在郷道との追分の道標。
日の当たらない道には雪が残ってます。
内川、この先荒川からに合流し、那珂川を経て水戸市内から太平洋に注ぎます。
3.里山風景
上り坂の始まり、徐々に標高が高くなり、気温は低くなっていきます。
今日は双対道祖神に多く出会いました。何度見てもホッコリします。
JAの施設を過ぎると、県道から静かな旧道に入り、更に坂を登っていきます。
匂いから判断すると牛が豚の牧場。子どもの頃近所に牛・豚・鶏の牧場があり、匂いで判別する自信があったのですが、ここは判別不能。私の嗅覚だと、豚の匂いは強く、牛の匂いは柔らかです。
大きな箱庭の様な畑を過ぎて、
暫くは長閑な風景の中を進みます。
再び県道と合流、長屋門の家が多く残っています。
大きな双対道祖神、護り合いと支え合いの大切な事が、見ただけで感じることが出来ました。
裏面には三人の名前が、建てたのは33年前。私が二十歳の頃かぁ、その頃にこの道祖神見ても、何を感じたのかタイムマシンがあったら、聴いてみたいです。
隣には、天皇・小休・御膳水、の文字が、明治天皇がこの付近でお休みになられたのでしょうね。
4.ほほえみ仏
灌漑用水の様な川を、今日一日で10回位渡ってます。
一瞬、北海道の様な風景が。
こちらにも明治天皇後休憩の碑が。
道は徐々に標高を上げていきます。
スズメバチの巣、縁起物として飾ることもあります。
地図を見ながら楽しみにしていた、ほほえみ仏、期待以上でした。
7人仲良く並んでます。
赤子を抱いてます。
飴をお供えしてきました。
ほほえみ仏の隣は一里塚跡、ほんのり盛り上がった辺りらしいです。
5.太田原市
大田原市に入りました。偶然にも12月に仕事で来たので、少し懐かしい。
道沿いに商店が現れました、喜連川宿を出てから2時間弱なかったと思われます。
梨畑、もう芽が上に伸びているのですね。
交差点角に大切に残されている道標。
地元の野菜を提供すると思われる飲食店、古民家をリノベーションして営業してました。
大根って、放っておくとここまで顔出すのですね!
途中の納屋に、縦型の鯉のぼりが、カッコ良いです。
滑り止めの塩化カルシウムが、道端の台の上に置かれています。北に向かっていると実感。
ゴルフのまち、太田原。
1990年代、前職の宇都宮支店勤務時に、営業で来ていたゴルフ場があり、嬉しくなります。
6.佐久山宿
佐久山宿、弓の名手那須与一所縁の地。
温泉入りたいけど、また先があるので断念。
突然和菓子屋さんが、あまりにもいい香りがして美味しそうなので、土産に買って帰りました。山芋で作った饅頭の味は抜群!皮が口の中にまとわりつき、優しい餡の味が柔らかく広がります。
こちらです!
佐久山前坂の交差点、写真中央の細い坂道を下ります、何か期待できそう!
坂はこんな感じ、いいじゃないですか!
途中の人気がない民家には、二匹の猫とスズメバチの巣が、飾り物なのか本物なのか判らず。
たくさんの石仏群が並ぶお寺が、
その中に、男馬頭観音・女馬頭観音、と刻まれた石碑が。仏や菩薩には性がないそうですが、何を意味しているのか興味があります。
なんか天国みたいな風景ですね!
二十三夜塔の横に階段が、登らないわけには行きません!
祠が建ってました。
坂を振り返るとこんな感じ。
突然年季の入ったなまこ壁が。
おっ、あっちにも、
こっちにもそっちにもありましたが、この付近だけにしか見当たりませんでした。
奉仕の店!凄いですね!
お店は現役の洋品店でした。
再び県道に合流します。
かつての薬屋さんの頃の看板が残っているお屋敷。
那須与一の絵が描いてあるトイレ。
島崎酒造、今は造っていない様子です。
箒川、上流には塩原温泉があり、下流は那珂川に合流し、水戸市内経由で太平洋に注がれます。
石仏群、読めない、読めたら楽しそう。
木に覆われてしまった長屋門。
7.清流の里
小川の中洲に聖徳太子の碑があります。
太田原神社に、建築の神様として聖徳太子も祀られており、その関連でこの碑があると思われます。
なんでこんなに水が綺麗なんでしょうね、川が澄んでおり、糸魚が住んでます。
深川、こちらにも水草が生えてます。
加茂内川、天国に行ったことありませんが、天国みたいでした。
太田原宿に入る手前、暫く平行する百村川は鴨の楽園、あちこちで寛いでました。
8.赤い屋根の家
佐久山宿の前後では、赤い屋根の家が増えてきました。中山道や甲州道中で信濃國に入るとたくさん見る事が出来ます。赤は錆止めの色らしく、機能とデザインを兼ねているのかもしれません。
どの家屋も、個性と自信に満ち溢れてますね!
長屋門がある住宅の前や、田園風景の中を歩きます。
9.減りゆく大谷石の建築物
大谷石の建築物、採石場がある宇都宮市から離れるにつれ、その数が徐々に減ってきます。
これで見納めになるのかなぁ。
蔵の変化
減りつつある大谷石の蔵に変化が、瓦造りの庇が出始めます。
見栄えがグッと良くなりますね。
瓦造りの庇が登場すると共に、大谷石造りの蔵は姿を消し、途中佐久山宿で紹介した、なまこ壁の蔵を経て、白壁の蔵に入れ換わります。
与一の里名木、この松は樹齢200年もあるのですね!
兵士の一隊が行進する蜃気楼が現れた光景を刻んだ石碑。
太田原の市街地、ロードサイド型のお店がたくさんあります。
風が強く吹き、時々雪が舞い、不思議と夏の様な雲が広がってました。
こちらで燃料補給、隣では近所のおじいちゃんたちが元気に酒盛りしてました。
太田原宿
薬師堂、見事な木彫りです。太田原宿の町中にはいります。
太田原宿の町並み、道が広々としてます。
歴史を感じる小児科の建物。
弓矢の名手、那須与一所縁の地らしい、味のある看板。
金燈龍、太田原宿のシンボル。常夜灯の役割をしていた様です。
本日はここまで。
最寄りの西那須野駅までバスで移動して、帰ります。
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