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3/5 日記

昨日バイトに旅行の下準備にと、朝から1日張り切って頑張った。その疲れのせいで(?)今日は正午になってようやっと、インターホンの音で起こされた。配達員さんが、先日Amazonで注文した電動昇降デスクを持ってきたのだ。
他にも家具、本など、合わせて注文していたものも一緒に持ってきていた。

その後、再びベッドに戻って1時間ほどゴロゴロした後、届いたばかりの「100分de名著シリーズ フランクル」を3時間ほどかけて読んだ。

こういった要約系の書籍は普段なるべく読まない様にしている。しかし、先日Xで、ある大学教員の
「『100de名著シリーズ』は、人文学に関心のある大学生にピッタリだ。」
という旨の投稿を見かけ、早速「100分de名著」のフランクルニーチェとラッセルの3冊を注文した次第である。

そんな本書の中でたびたび登場する以下の一説は、フランクルの思想のエッセンスである。

「人間が人生の意味を問うのに先立ち、人間が人生から意味を問われている」

この言葉は至言だと思った。人生の意味に悩む人にとって、目先を大きく変えてくれる、そんな一言だ。自分の胸に大切にしまっておきたい言葉だ。

僕自身、フランクルの代表作「夜と霧」をまだ読んだ事が無かった。
本書をよむまで、「夜と霧」といえば、アウシュビッツ収容所での地獄の日々を綴り、反戦的メッセージが込められた作品か、あるいはアンネの日記的な作品とばかり思っていた。しかし実際の所は、収容所での出来事や、フランクル本人を含む収容所の人々の様子を精神科医として科学的見地から分析する、心理学・精神医学の側面を多分に含んだ著作であるというのは初耳だった。

もう一つ初耳なことに、フランクルが最も過酷な収容所であるアウシュビッツで過ごしたのはたったの数日間だったそうだ。これには正直なところ、やや拍子抜けした。


その後、町に出て行きつけの家系ラーメン屋に行き、スタンプカードで無料のラーメンと390円のネギチャーシュー丼を食べてきた。ネギチャーシュー丼が思いの外ボリュームがあり、腹12分目ほどだったが、ラーメンだけ食べて直ぐに帰宅しては、往復の地下鉄代が勿体ない気がする。そこで、本でも読もうと思い、BOOKOFFで小説一冊買って、近くのマックに入る。

店内に入るなり
「いらっしゃいませ!ご注文はいかがなさいますか?」
僕は
「コーヒーのホットを一つ。」
と注文する。

数秒の沈黙が流れた、、、

この沈黙の間、僕は
「250円のコーヒー一杯で数時間居座るつもりか?」
という店員からの無言の圧力を感じ、とうとう仕方なく、食べたくも無いのに
「、、、ひとくちチュロスを一つ」
と注文したのであった。。。
会計は440円。
予定より高くついてしまってガッカリ。

とはいえ、イートインスペースのある2階に上がってみると、女子高生で賑わっている。街中の平日夕方5時のマックは学校帰りの女子高生が沢山いるのだ。それも、如何にもカースト上位っぽい、上玉の女子高生ばかりである。これには思わず
「安いもんだ、440円くらい。
天然の女子高生を合法で見れてよかった。」
と、僕の心の中のリトル・シャンクスも大満足である。


帰りの地下鉄で、政治家の萩生田光一氏にそっくりな小太りのサラリーマンが、僕の左横の0.8人分くらいの狭いスペースに、ズシンと割り込んで座ってきたのには閉口した。
これだから日本の政治は一向に良くならないのですよ、萩生田先生。

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