見出し画像

人生のやり直し

気がつけばもう50歳手前。

高校卒業直後に西日本の某県から上京してから30年以上経つ。

子供の頃はほとんどの時期で貧しかった。

両親は共に職を転々としていた記憶がある。

父親は自衛隊、鉄工所、ダンプカーの運転手、ダスキンの代理店なんかもやっていたと記憶するが、どれも長続きしなかった。

母親は最終的に4人の子供を生んだが、出産と育児の合間に家計を支えるために働いていた。

県内を何度か転居したが、家はいつも借家でボロボロの記憶しかない。

時代もあるとはいえ、トイレは汲み取り式だし、風呂は五右衛門風呂。台所が土間という時もあった。

父親は昭和初期に生まれた男性にしては珍しく高身長で男前だった。

家には大きなステレオセットがあって、そこには石原裕次郎やプレスリーのレコードがたくさんあった。

カラオケが好きで、町のカラオケ大会でよく歌っていた。歌は結構上手かったような記憶がある。

母親は男前の父親には不似合いな女性だったが、何よりも「女性らしさ」は全くなかった。

だんごっ鼻で小太り、化粧やマニキュアなどは無縁でスカートを穿いているのを見たことがない。

何より嫌だったのは脇毛。

ムダ毛の処理など全くせず、女性なのに脇毛がふさふさ。

夏などはノースリーブで近所をうろうろするものだからたまったものではない。

子供ながらに何度も「処理して欲しい」と訴えたが、一度も願いは叶わなかった。

そんなどうしようもない両親だったが、自分が小学校高学年から三年ほどほまともな暮らしができた。

着物に関する事業が当たって、当時は共働きで合わせて60万円くらいの給与を得ていたそうだ。

昭和の時代に地方の田舎街でその金額はなかなかのもの。

その頃は家族五人でマンションに住むことができた。

3LDKで築浅、トイレは水洗、風呂はガス炊き。
家の車もワゴンタイプの上等なものだった。

しかしそんな生活もすぐに終わりを告げ、一家は転落していく。

「両親のようにはなるまい」

物心ついた頃から自分に言い聞かせてきたつもりだった。

しかし今は自分を恥じている。

体に流れる両親の血のせいにして逃げている。

金儲け

浮気

結婚

離婚

借金

悪事

逮捕

成功

転落

再生

失望

色んな経験を重ねてきた。

今は人生三度目の再生に挑戦している。

因果応報、道は険しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?