國府柳京

元経営者。現いまいち中年。 散財してきた金はサラリーマンの生涯年収超。 人に救われてき…

國府柳京

元経営者。現いまいち中年。 散財してきた金はサラリーマンの生涯年収超。 人に救われてきた人生。

最近の記事

初めてのアレの記憶があんまりなのは彼女がアレだったからなのか

少年期はモテた方だった。 小学生高学年の頃はバレンタインに家までチョコレート届けに来られたこともあるし、割と頑張ってやっていたサッカーの練習を見学に来る子もいたりで、6年生の時には学校で一番人気のある女の子と付き合った。 「付き合った」といっても、親友のカップルと駅前のデパートのフードコートでメロンソーダを飲みながらフライドポテトをつまむくらい。 その女の子とは中学校に入っても関係は続いて、同じく親友のカップル交えて交換日記したりした。 中学校ではその子と別れてから途

    • Sのちえ

      キャバクラは大好きだった。 だけど数年前に10年勤めていた会社から追い出されて以来、金銭的な余裕が一切なくなったこともあって一度も行ってない。 思えば20代前半の頃、当時勤めてた会社の社長から夜遊びを教わって以来、こんなにキャバクラに行かなかったことはない。 23歳の頃、よく連れていかれたのは池袋西口にある「S」というキャバクラ…といっても、そこはランジェリーパブだった。 20代の可愛い女の子がセクシーなランジェリーやTバックで接客してくれるという素晴らしい店だった。

      • 人生のバブル期

        20年くらい前は池袋で会社を経営していた。 ちょうどアメリカで9.11のテロが起こった年は365日休まず働いて、その努力らしきものが実ったのか、翌年から自身にとって最大のバブル期がやってくる。 覚えてないが給料は100万から始まって毎月倍々で増え、最終的には1,000万くらい取ってたと思う。 当時は結婚していたけど、妻には十分すぎる生活費だけ渡して家にはほとんど帰らずにホテル暮らしをしていた。 ホテルは池袋だから夜はネオンに誘われ、毎晩のように飲み歩いた。 夕食を食

        • 腹を空かせた幼い妹

          高校時代の家庭は貧しく、荒廃していた。 数年ほど景気の良かった時期はあったものの、アルコール依存で互いの首を絞め合った両親はあっというまに転落。 ふたりとも定職に就かず、借金に借金を重ね、生活保護を受けていた。 毎月受給した金は借金の返済や酒によって数日で消える。 母親は得体の知れないどこぞのおっさんの家に入り浸って家に帰ってこない。 父親は毎日パジャマ姿で起きている間はずっと酒を飲んで酔っ払っている。 風呂にも入らず髪の毛はぎとぎとに脂ぎっていた。 家は例によっ

        初めてのアレの記憶があんまりなのは彼女がアレだったからなのか

          父のノックと水谷実雄

          5歳ころの記憶。 山のふもとにはもくもくと煙を上げる高い煙突があった。 その当時、父親は工場勤めだった。 家から工場までは徒歩圏内で朝から夕方まで働いていた。 不定期な日課ではあったが、私は勤めが終わった父を近くの土手まで迎えに行っていた。 手にはバットとグローブとボール。 野球好きの父が幼い私に買い与えてくれたもので、バットは木製。 5歳の男の子に重い木製バットを買い与えるというのが正解かどうかは別にして、帰宅途中の父親を待ちわびるには理由があった。 家路に

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          人生のやり直し

          気がつけばもう50歳手前。 高校卒業直後に西日本の某県から上京してから30年以上経つ。 子供の頃はほとんどの時期で貧しかった。 両親は共に職を転々としていた記憶がある。 父親は自衛隊、鉄工所、ダンプカーの運転手、ダスキンの代理店なんかもやっていたと記憶するが、どれも長続きしなかった。 母親は最終的に4人の子供を生んだが、出産と育児の合間に家計を支えるために働いていた。 県内を何度か転居したが、家はいつも借家でボロボロの記憶しかない。 時代もあるとはいえ、トイレは

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