夏川草介『始まりの木』

夏川草介『始まりの木』を一息に読んだ。詳しいあらすじは書かないけど、民俗学専攻の大学院生と指導教官のお話。

最近の集中力では活字を一気読みできなくなっていた私が何故そこまで没頭したか。それは、私が大学生になってからなんとなくずっと抱えてきた違和感の答え合わせが急に始まったような気がしたからだ。

私はこの4年間社会学を専攻してきた。人間が人間を論じる学問だ。でも自省を繰り返す学問ではなかった。だいたい人間ではない何者かが人間を論じているか、人間同士が口喧嘩をしているような感じだった。

またある時は、初詣に意味を感じないという友人に「神を信じてるから神社とかお寺にお参りするんでしょう?」と言われた。「信じてる」という言葉が妙に引っかかって同意できなかった。自分はそんなバカみたいなものに頼らなくても生きていけるとでも言いたいのだろうか。そりゃ生きていくことはできるだろうよ。私だって生きていける。現にそうやって生きてる。でも自分のために、都合の良いように「神」という存在を認識しているようなニュアンスがなんとなく違った。

『始まりの木』はそんな違和感を言語化していた。人間はそんな偉い存在ではない。人間は非力で小さい。それなのにその小ささを知らないで傲慢に振る舞う。自分はそんな傲慢さが嫌だったんだ。昔の人は人間の小ささを当たり前のように知っていた。「八百万の神」とはその謙虚さだったんじゃないか。

「神を忘れた人たちはどこへ向かうのか」というのがストーリーの一つの軸だったと思うが、この問いは民俗学だけのものではないと思った。


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