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【第5回】君の“忍者”レベルは何級??

いらっしゃいませ✨
☕ようこそ『社会科カフェ』へ☕

今日は週のはじめの月曜日、、、(。>﹏<。)
月曜日はなかなか気持ちが高まりませんよね💦
私は月曜日がお仕事お休みの時が多いですが、安心してください、、、土日に授業やテストがあって出勤です(ΦωΦ)ww

さて今日は、“忍者”について書きます🥷
みなさん“忍者”と聞くと、どんなイメージがありますか??

手裏剣(しゅりけん)くのいち、アニメだったら
忍者ハットリくん忍たま乱太郎NARUTO
詳しい方は、服部半蔵風魔小太郎などの人物も知っているかもしれません。
忍法◯◯の術〜〜」って言いながら遊んだ方も多いと思います✨

🥷それでは見ていきましょう🥷
※ちなみに2月22日は「忍者の日」です。

●〈呼び名〉
歴史的には、「忍び」と呼ばれることが多く、乱破(らっぱ)や透波(すっぱ)など、各地で独自の名前で呼ばれていました。

●〈存在〉
存在が史実上確実に確認できるのは、南北朝時代(1336年〜1392年)より後。

●〈仕事〉
最も重要な仕事は、敵の状況を主君に伝えること。そのため、できるだけ戦闘をさけて生き延びて戻って来る必要がありました。

●〈忍びの姿〉
実は忍びは黒装束(くろしょうぞく)を着ていなかったという研究があります。
たしかによく考えると、忍びが「私忍びで〜〜す🎵」と ひと目で分かる黒装束を着ていたら敵にバレバレですよね(笑)
即 捕まります💦💦
黒装束の忍びは、歌舞伎や浄瑠璃など演劇から広がったと考えられています。演劇では、小説のように「この人は忍びです」と文字で説明することができません。
黒装束は、見てすぐにその人物が忍びであることがわかるようにする演出上の工夫で、その後 文芸作品の中にも黒装束の忍びが広がっていったと考えられています。

【引用】読売KODOMO新聞(2023年2月23日号)

●〈江戸時代になってからは??〉
江戸時代になって平和な時代がおとずれると、戦闘をすることはなく、情報をGETしたり、警護をすることが主な仕事になります。
隣の国の政治状況を知って、自分の国の政治に活かすこともしていました。

●〈忍術書〉

【引用】読売KODOMO新聞(2023年2月23日号)

●〈手裏剣〉
忍びが手裏剣をどのように使っていたのかは、よく分かっていません。これまでに見つかっている忍術書には、手裏剣に関する記述がなく、忍びが手裏剣を使った記録が見当たらないからです。

武芸の一種としての手裏剣術は、伊賀流や柳生流(やぎゅうりゅう)など、流派ごとに伝えられており、手裏剣そのものは実在しましたが、それらは武士が使うものでした。
忍びも、手裏剣を使用していた可能性は否定できませんが、むしろ手裏剣は通常の忍器として認識されておらず、忍びとの関連性は薄かったのではと言われています。

みなさん いかがでしたか??
忍びの研究で新たな事が判明したら、noteに書こうと思います✨

みなさん 「もし忍術が一つ使えるとしたら」??
ぜひコメントで(XでもOKです🎵)教えてくださいね🌸
私は、「忍法 “中学高校受験 社会科の知識が全部頭に入る術”」が使えるようになりたいです(ΦωΦ)

・・・勉強しますww

次回もお時間ある時、ぜひ『社会科カフェ』にお越しくださいね☕
ありがとうございました🙇‍♂

【参考文献】
・読売KODOMO新聞(2023年2月23日号)
【参考サイト】
・日本忍者協議会 公式サイト
(Japan Ninja Council)
・本の万華鏡
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/33/index.html












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