#123 玉砕の島のバンザイクリフ

第二次世界大戦中、「絶対国防圏」と呼ばれた最重要拠点の1つサイパン島。もともとドイツ領だったサイパン島は、第一次世界大戦の戦勝国である日本が委任統治していたため、数万人の日本人が移民をして暮らしていた。島には日本家屋や神社など、日本人が暮らしていた痕跡が今でも残っている。

サイパン島をアメリカ軍に占拠されると、日本本土の大部分がアメリカ軍のB29爆撃機の爆撃圏内に入り、日本本土が常時空襲の恐怖にさらされてしまうため、サイパン島の防衛戦は日本の存亡をかける戦いだった。サイパン島の戦いでは、日本軍4万人以上、民間人1万人以上が亡くなったと言われている。

その中でも最大の悲劇が起きたのが、高さ80m以上の崖がそびえるマッピ岬である。「生きて虜囚の辱めを受けず」(=生きてつかまって恥をさらすよりは死んだ方がましだ)、「玉砕せよ」(=玉のように美しく砕けて散りなさい)という教育を受けていた日本人たちは、アメリカ軍に追い詰められ、マッピ岬の上から身を投じていった。その際、「(天皇陛下)万歳」と叫んで躊躇なく飛び降りていったという。マッピ岬から飛び降りて自決した日本人は1000人以上にのぼるとされている。このことにちなんで、マッピ岬は「バンザイクリフ」と呼ばれている。
マッピ岬はサイパン島の最北部にあり、くしくも日本本土に最も近い場所だった。

また、追い詰められた日本人の自決はマッピ山でも行われ、マッピ山北面の崖はスーサイドクリフ(日本語で「自殺の崖」)と呼ばれている。

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【参考】


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