バランスが妙であることこそが、変化の最も大切なこと?卑弥呼さんと台与さんの違い

なんか、変な日本語だな、と自分でも感じる。が、そう浮かんだのだから、そのまま行く。あぁ、わがままというか、適当というか・・・。

邪馬台国のことを調べていて、なぜ卑弥呼さんの時代から新しい時代への移行がうまくいかなかったのか?

一方で、台与さんが即位してからは、小さなもめごとはあったろうが、うまく新しい時代へと移行できたのはなぜか?

二つの違いはバランスだと。

バランスといっても、力関係とかではなく。トップに立つ人たちの心のバランスというか、考え方のバランス。

自分の願い、国のゆくえ、民の幸せ。これらがバランスよく、心や、頭の中にあったか、ということだと。

まず。卑弥呼さんがなぜ暗殺(と、私は考えている)されるようなことになったのか。邪馬台国を素晴らしい国へと導いた人が。

そこには、心と考えのバランスが崩れてしまった卑弥呼さんがいたから。邪馬台国は、巫女さん中心とした国。神様のご神託に沿って、国の運営が行われていた。

でも、天候不順が続き、ご神託をいただいても、農作物の不作が続いた。実質的に国を動かしていた人々は、「このままではいけない」と感じていた。卑弥呼さんも同じように感じていただろうけど、危機感に差があったのですね。

その危機感の差が、ぶつかり合って、暗殺という強硬手段をとらなければいけなかった。

どちらも、少しずつでも、歩み寄ることができれば、もっと穏やかな変化を実現できたでしょう。歩み寄ることができなかったのは、思い入れが強かったこと、自分の願いにこだわる心が強かったこと、が原因。民への思い、国の将来への思いは、双方同じくらいあった。

力で押し切ると、その反動は必ず来る。大きな力であれば、大きな反動が。卑弥呼さんの次に立った男王は、魏に対して、従順ではなく、「われらには力がある」ということを示したかったのかも。

魏の将軍が、邪馬台国の王や王妃のことを馬鹿にするような発言をしたら、すぐに激烈な反応を示し、その将軍を焼き殺すという行動に出た。

将軍は、捕縛されたとき、「言い過ぎた、申し訳ない。許してほしい」と願ったそうだけども、それを許さなかった。

男王は、この行動を正当なものと考えたが、周りはそう思わなかった。「もし、彼の心証を悪くするようなことがあれば、自分も同じ運命をたどる。それは嫌だ」と。

力を示すことはできたけれども、そのことは、自分を孤独にする原因となってしまった。ついてくる人がいなくなったということ。

周りが動かなければ、個の力なんて知れたもの。また、国中が乱れてしまうということになりました。そこで、「もう一度、昔に戻そう。卑弥呼さんの時代のほうがまだよかった」と考える人が増え、台与さんを女王とする流れになったということですね。

台与さんが選ばれたのは偶然かもしれない。もし、卑弥呼さんのあとを正統に次ぐ太陽の巫女さんがいれば、どのような結果になったかは分かりません。だって、台与さんは月の巫女さん(邪馬台国には太陽と月の巫女さん、2系統の巫女さんがいたと私は思っています)、本来なら選ばれるはずはないのですから。

でも、台与さんしかいなかったこと、これが結果としてよかった。先に偶然と申しましたが、ひょっとすると、神さまの采配だったのかもしれません。

台与さんが女王になって、まず考えたことは何だったのでしょう。それはバランスだと。「バランスといっても、どのようなことに心を向けたのだろう?」

まず、なぜ人々が、過去へ戻ることを願ったのか? そして、これから人々はどのように進んでいくことが幸福につながるのか? この2つが大きな方向性だったと。

過去へ戻る、という願いをかなえるだけでしたら、卑弥呼さんの時代へ戻ればいいこと。でも、その方法は、ご神託だけでは、豊作を望めないという、限界を迎えていた。つまり、一人の人の決定だけでは無理が出てきたということでしょう。

未来について考えたとき、複数の人がそれぞれの特徴、特技を生かして、いろいろなことを決定する、このような国政のほうがいいのではと考えたはず。

だから、台与さんは、自分ひとりではなく、邪馬台国の有力者たちと共同で統治するという方向へ、徐々に舵を切っていったのです。それが、古事記の天の岩戸隠れ以降、天照さまが高木の神さまと並んで、お言葉を発するようになった、というくだりで書かれています。

共同で統治するという方向へ舵を切った、というけれども、周りのほうが力が強くて、そうせざるを得なかったのでは? という疑問もあります。でもです。台与さんが女王になってから、大きな混乱はなかったはず。

もし、台与さんが、なんとしても、卑弥呼さんの時代に国を戻す、という考えにこだわっていたら、争いが起こり、政権をどちらがとるか、といった大きな争いに発展していったでしょう。

そのようなことが無かったことが、台与さんがバランス感覚に優れ、少しずつ、みなが変化に戸惑わないようなスピードで、統治の方法を変えていった証拠になるのではありませんか。

とうぜん、台与さんだけでなく、周りの有力者たちも、バランス感覚に優れた人が多かった、ということもあります。

変化、時代や国のありさまが大きく変わるとき、もちろん個人の生活でも。いかにバランスを保って考えるか、ということが大切だなと、考えさせられるのです。

さらに、トップが、「ここまでやってきたのは、私の手柄。手放したくない」なんて思ってしまうと、混乱するのは必定。

「これまでは、これまで。これから先、どのように進むか。そして私はどのように関わっていくか?」ということを考え、もし、自分がこれ以上は必要ない、という結論に達したならば、台与さんのように潔く身を引く。こんなことができるトップであれば、混乱も起こらず、スムーズに変化を越えていけるのでは、と考えるのです。

私にそのようなことができるか? む、無理かも・・・(^▽^;)









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