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寺院消滅~読書記録358~

2015年、京都・浄土宗正覚寺住職でジャーナリストの鵜飼秀穂氏によるルポ。

鵜飼秀穂氏

「坊主丸儲け」「寺は金持ち」というイメージは強いが、日本のお寺は、かつてないほどの危機に瀕している。菩提寺がなくなり、お墓もなくなってしまった――。こんな事態が現実になろうとしている。
中でも地方のお寺の事態は深刻だ。高齢化や過疎は檀家の減少につながり、寺の経営を直撃する問題となっている。寺では食べていけないことから、地方の寺では、住職の跡継ぎがいない。しかし、寺は地域住民の大切なお墓を管理しなければならないため、簡単に廃寺にしたり、寺を移転したりすることはできないのが現実だ。
一方、都会で働くビジネスパーソンにとって、お寺やお墓は遠い存在であり、お寺との付き合いは「面倒」で「お金がかかる」ばかり。できれば「自分の代からはもう、お寺とは付き合い合いたくない」と、葬儀は無宗教で行い、お墓もいらない、散骨で十分という人も増えている。
経営の危機に瀕するお寺と、お寺やお墓はもういらないと言う現代人。この問題の根底には、人々のお寺に対する不信感が横たわっている。僧侶は、宗教者としての役割を本当に果たしてきたのか。檀家や現代人が求める「宗教」のあり方に応えることができているのか。
地方崩壊の根底に横たわる寺の消滅問題について、日経ビジネスの記者が全国の寺や檀家を取材し、徹底的にルポ。芥川賞作家の玄侑宗久氏らのインタビューを交えてこの問題に迫る。
お寺やお墓、そして地域の縁を守ろうと必死で努力する僧侶たちの姿と、今だからこそ、仏教に「救い」を求めて集まる現代人の姿が見えてくる。


著者のお寺がこちらだ。

冒頭に2014年に書かれた増田寛也氏のこの本が引用されていた。
増田寛也氏は、安倍晋三第一次内閣で総務大臣、1994年から2007年まで岩手県知事をされていた。
2016年に東京都知事選で小池百合子に敗れ、その後は表立っては見ていない。
私は、2016年の東京都知事選の時に読んでいたので再読だ。
改めて、東京都民は見る目がない!と思ってしまった。何故に小池百合子?結局、目立つ華やかな人を選ぶのだろう。
これだけ、分析の出来る方はいない。地方の少子化、人口減の問題を理解しておられる。
奥州藤原氏、牛若丸義経、松尾芭蕉、宮沢賢治が好きな私は岩手県に旅する。来春には桜を観に行くであろう。生きていればね。 なんて道路が綺麗なんだろうと感動ものなのだ。 増田氏は、石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏、小池百合子などに比べたら地味だろう。だが実績がある。


鵜飼氏、増田氏。どちらの本も地方にあるお寺のメンバーに読んで欲しいと願う。 だが、地方のお寺の人は「檀家さんが生活が苦しくてもやってくれて当たり前」みたいな所があるから難しいかもしれない。

この本は、一般人が読めば納得することだらけなのだが、仏教、キリスト教などの宗教関係者には受けないというか、反論される本かなという印象を持った。
実際に人口の都市集中など深刻な問題を抱えているのに、今まで通りにするお寺、宗教法人の偉い人が多いのだ。

巻末に、牧師の資格を持っている元官僚の佐藤優氏が解説をされている。

宗教が衰退しているのは、死に対する意識が変化しているから、と私は見ている。葬儀を行わず、墓を作らない人が増えているのは、死に対する意識の変化だ。
生のみを追求して、死は無意味であるという発想は間違いだと思う。人間は必ず死ぬ。それだから、限界を意識し、充実した生を送ることができるのである。
寺院消滅を防ぐためには、小手先の作業ではなく、都会で、人々に死を意識させる活動をすることだ。そこで重要になってくるのが教学だと思う。世の中には目に見えないが確実に存在するものがある。祖霊は、歴史的に実証することはできないが、確実に存在する。キリスト教神学では、こういう存在を原・歴史という。仏教徒とキリスト教徒が死について共同研究をする時期に至っていると思う。
死の現実を広く社会に認識させれば、宗教は復興する。
日本で1500年近くの伝統を持ち、明治維新直後の廃仏毀釈の危機を乗り切った既成仏教教団が、都市化や少子高齢化如きに負けることはないと私は確信している。(本書より)

鵜飼氏には申し訳ないのだが、この佐藤優氏の言葉に尽きるような気がする。
不老不死の人間なんぞいないのだ。いつかは死ぬ。だからこそ、どう生きるかなのだが、今の仏教の場合、葬儀主体になってしまっているようなのだ。
全集系の寺では、座禅会など行っているが。

多くの日本人がもっと期待出来るような場所になるようにと願うのだった。

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