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ヒトの壁~読書記録402~

ヒトの壁 養老孟司 2021年

病気はコロナだけじゃない。そして、死は誰にでも平等にやってくる。新型コロナウィルス禍と五輪、死の淵をのぞいた自身の心筋梗塞、愛猫まるの死――ヒトという生物であると実感し、2年間の体験からあらためて問い直す。人生そのものが、不要不急ではないか。それでも生きる価値はどこにあるのか。84歳の知性が考え抜いた、究極の人間論! 「壁」シリーズ4年ぶり待望の最新刊。


この本は、コロナ過の時期に書かれたものであるが、養老孟司先生は、ワクチン推進派、否定派、極端な部類に属さず。尚且つ、冷静に時代を観ていて好感が持てる。
コロナの専門家会議を旧約聖書のバベルの塔に見立てたり。
専門家、政府、官僚と集まったが、実は別な言葉を使っているのではないか?など。
そういう見方をするとなかなか面白い。
不要不急。コロナ過の始まりに盛んに言われていた言葉だ。
ついでに言うと、少し前までは、コロナというワードがAIに引っ掛かる為、私自身は、noteやらも気を付けて書いていた。ようやく、落ち着いて書けるようになったのかもしれない。
Xには、怪しいコミュニティノートやらが付くが。

不要不急は自分のことではない。そのモノサシは周囲、つまり世間という状況にある。
しかし人生は本来、不要不急ではないか。ついそう考えてしまう。老いるとはそういうことかもしれない。
アベノミクスはよくわからなかった。フツーの人にはわからなかったと思う。わからないことがわかったから、アベノマスクになったのかもしれない。
とはいえ、今や、マスクは余り気味で、足らないのはワクチン。いや、ワクチンも余って来て、三回目の接種をどうこうし始めている。
自分が日常を生きて行くときに排すべきなのは何かといえば、「本日のコロナによる死亡者何名」という神様目線だと考えている。神様目線が生存に有効になるような社会を構築すべきではない。
コロナは死という生の前提を各人の目前にもたらした。しょせん、私たちはヒトという生物なのである。
ネットでのいわゆる炎上も、だれかの発言に対する「反応」である。同様に、コロナ対策も「反応」ではないか。
(本書より抜き書き)

太平洋戦争の開戦、敗戦。仕方なかった。当時の天皇陛下の詔勅により国民は納得した。
だが、現在の日本には責任を取る人はいるだろうかと、私は思う。
今上天皇に押し付ける?それは出来ないだろう。イヤ!しないで頂きたい。
増税眼鏡が何とかする?期待しない。
コロナの女王蜂、岡田何とかさんだの、尾身先生だの。まあ、無責任な方ばかりだ。これは私個人の意見だ。

自分の主張を他人に不快な思いをさせず、炎上にもならずにさらりと、色々な書籍や過去の例をあげて言える。
養老孟司先生の素晴らしさを又知った。



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