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刑法三九条は削除せよ!是か非か~読書記録287~

2004年 ジャーナリストの呉智英(くれともふさ)氏と佐藤幹夫氏の共著だ。他に、何人かの専門家に執筆を依頼し、編集されている。


「心神喪失・心身耗弱」、そして凶悪殺人犯が野に放たれる?精神鑑定はうそ臭い!刑法はもはや時代遅れだ!こんな三九条があるから被害者は救われないのだ!よろしい、まちがいなく議論はタブーなしで、徹底的にやるべきだ。さてしかし、責任能力とはなにか、なぜ精神鑑定が「うそ臭い」のか。ほんとうに「精神病者=犯罪者=責任能力なし」なのか。いや、そもそも刑法とはなにか。なぜ三九条の条文があるのか。本書は、この厄介きわまりない主題に迫り、冷静に、多角的に、腰を据え、そして時代に先駆けてなされる問題提起の一書である。

第1章 「刑法」は限界なのか(責任という難問;三九条はきれいさっぱり削除されるべきだ ほか)
第2章 「刑法」とは何か(「刑法三九条」を削除する理由はどこにもない)
第3章 司法と医療の現場から(刑法三九条論議の一歩手前で;求められているのはむしろ新しい「責任能力論」である―処遇論と訴訟能力論の重要性を中心に ほか)
第4章 三九条、そのさまざまな問題(刑法三九条何が問題なのか)

呉智英[クレトモフサ]
1946年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業。評論家

佐藤幹夫[サトウミキオ]
1953年秋田県生まれ。国学院大学文学部卒業。批評誌『樹が陣営』主宰。フリージャーナリスト
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーター


刑法39条のみならず、刑法の多くは明治期に作られたものをそのまま続けて使っている。その事自体、司法や国の偉い方たちは何も思わずに平然と仕事をされているのだろう。そんな事も思ってしまった。
精神鑑定をする際に、詐病を使う加害者もいるだろう。弁護士は精神喪失状態に持っていきたいだろう。
最近では、テレビに出たい精神科医が最もらしいことを言う。現場で彼らは何をしているのだろうか?措置入院となる精神病院で勤務する医師、看護師の日頃の苦労をマスコミ大好き精神科医は知っているのだろうか?

この本では、弁護士、精神科医など。それぞれの立場の方の話もそのまま載せている。刑法39条は必要だとする方たちだ。又、一般人の間にかなりの誤解があるのではと指摘する面もあった。
精神病だからといって、何をしても無罪となる。それは事実ではないようだ。
大阪府池田小学校で事件を起こした宅間守は、「精神疾患であるなら無罪になる」と思っていたようだが、現実にはそうならなかった。

宮崎勤、麻原彰晃らについてもそうだが、精神的におかしいと思われている人が実際には無罪とはなっていないのだ。

だが、しかあし!
一つだけ文句を言いたい部分があった。
東京大学出身で社会学者の橋爪大三郎氏の文だ。

イスラム教では、天使がいて、いつもノートを持ち歩いていて、一人ひとりの行動の記録をとっており、その人間が何をしたか、すべて書きとめるといいます。そして、最後の審判のときに、アラーを前に、自分の行状を自分で読み上げなければならない。イスラム教はそんなふうに出来ている。最後の審判があるとは、そういうことなのです。
日本人だけです。神がいないのをいいことに「旅の恥はかきすて」でいぇってきて、管理社会になったとびっくりしているのは。日本人の場合、監視の能力と自分のモラリティが連動している。他の民族もそうかも知れませんが、日本人の場合、とくにそうです。それに対して、全知全能の神を考える一神教のモラリティは、もともと監視社会的に出来ているのです。
(本書より)

えええ?何を言ってるのだ?旅の恥は搔き捨て状態なのは、現在、日本に観光旅行に来る中国人やらイスラム圏の方らなんですが・・・

何もわかってないな。この団塊世代の先生は。
自動販売機やら野菜の無人販売機があるのって、日本くらいだ。
日本が他の国に比べて犯罪が少ない、安全であるとか知らないのだろうか。
と思ったら、この方は、クリスチャンだったのか。

関野和寛牧師で有名なルーテル教会だったか。


この本で思ったのは、片方の側だけの意見を聴くのではなく、両方の意見を聴く事の大切さだ。いい悪いは別にして。
もちろん、個人の想いと言うのは自由だ。
昔なら仇討ち制度なるものがあったのだろう。だが、現代の法治国家では、国、司法を信頼する他ない。
その為に、国、司法には望むべくことが沢山あるのだろうと思うのだった。


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