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正義感よりも配慮を

朝8時前。
いつものように掃除をしていると、20代前半女性が2人、ゴミ集積の曜日シールを見ながら、え?段ボールは?など言い合っていた。
私は、彼女らに声を掛け、朝の10時くらいまでしかいないけど、わからないなら聞いてくれるよう言った。
彼女らは越して来たばかりであった。2人での共同生活だ。
わぁ、ありがとうございます!と、他はどうしたらよいのか尋ねて、その後、私とは良い関係になった。

そう。私は今まで思い上がっていたのだ。
何が、誰とも口を聞きたくない…だ!
いかにもわからなくて困っている人に声がけする。
会った人に、こちらから、おはようございます!と言う。
当たり前じゃないか。もちろん、エレベーターにガムを付ける、なんて人もいるのだが、ほんの一部。
彼らは日本語がわからない!とな?
中華街が近い住宅街には、中国語の通訳が欲しい…
昔の市長である小池百合子の初代秘書の中田何とかが決めたゴミの分別を完璧に出来る人はいない。
現に私は、回収業者から注意ばかりだ。
そう。わからない!でいいのだ。
わからない。だから、教えて。
助けて。やってください。これで良いのだ。

1人、口うるさい住人がいて、防犯カメラで特定して注意しろ、だの。
イヤイヤ。そんなのサービス残業してまでやることじゃなし。
というか、防犯カメラをチェックする権限は私にはない。
私が上司やら賃貸マンションオーナーに話しても、うるさく思われるだけだ。
その人は正義感あるのだろうが、私は苦手だ。
今の私は、汚れた所を掃除する。黙々と。

確かに、
「ああ、飲み物は捨ててから出して欲しいな。重いから腰が痛くなるし、床が汚れる」
「缶と瓶のリサイクルの袋には使用済みの鼻紙を入れるのかーーー。分別していないから持っていかないってシール貼られて怒られるのは私やーー」
こんな感じでブツブツと独り言を言いながら仕事をしている。
だが、それでも最後にはなんとかなるから、いいのだ。

誰が汚したか突き止めろ、とか言う正義中毒の人を私は避けたい。
それが目下の悩みの種でもあったりする。
会いませんように。。。話し掛けてこないで・・・
こんな風に願っている。
確かに、大変だけど、他人の悪口で時間を費やすなら、とっとと仕事を終わらせて図書館に直行したい。
仕事が終わった後、そのまま行く図書館は私に喜びを与えてくれる。

環境省やら自治体が決めたルールも細かいから、現に私は職員やリサイクル業者に聞いてばかりだ。
情けない事に、私自身が完璧に出来ないのに、他人を責めることが出来るであろうか。
寧ろ、正義中毒の男性に振り回され、仕事が増えてる。上司やマンションオーナーに言わなくても済む事を、その男性に半ば脅され、電話。
時間と通話料が…

先日は、鍵をなくして困っていた人の鍵を探して感謝され、その方との関係がよくなった。
越してきたばかりの女性達が、前の人が置いた鍵を探していたので助けた。
朝、友人を自宅に連れてきた女性が私に挨拶し、
「この人ね、いつも綺麗にしてくれるんだよ」
と友人に言っていた時は、大袈裟だが、本当にこの仕事をして良かった、と思った。
正社員を辞めてから、パートやら派遣やらでしてきた仕事ではそんなことはなかった。

罪を見つけて注意する正義感。そんなものより、困っている人が話しかけやすい人間になること。
そんな人間に私はなりたい。

佐川急便の担当者もトイレを借りやすい、と仲良くなった。
訪問介護をフルタイムでしていた先輩はトイレのある公園が頭にインプットされていると言われていた。
宅配業者にしても、そうだろう。
だから、喜んで役に立ちたい。

人間に必要なのは正論よりも配慮、人は温かいものを求めている。

人の悪口を言っても心が満たされることはない。

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樋野興夫先生

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