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太平洋戦争後の真実 横浜市南区 曹洞宗海門山興禅寺 私の百寺巡礼126

横浜市南区の山の上には、広い市営墓地と火葬場がある。


久保山墓地
私の大好きな村岡花子さんのお墓もある。花は私が供えた。


外から見える久保山火葬場だ。


ここ、興禅寺は火葬場の前にある。

久保山のバス通りは、お寺が多いし、ここもそれほど大きくはないもので、気に留めた事がなかったのであるが、なんと!作家の猪瀬直樹先生も取材されて書かれている、ある種、有名なお寺なのだ。


こちらが、市川住職のお墓になる。
供えられていたのは、達磨大師を模したストーンアートであった。
この表情が素晴らしい。

ここは開かれたお寺と言えるだろう。他の曹洞宗寺院でも言えるのだが、お寺を開放して座禅会、写経会、悩み相談、など開催している。


私がここで真相を知りたいと思ったのは、東条英機らA級戦犯らの火葬後の後の話の整合性だった。
久保山火葬場で東条英機らが火葬された事は、個人的に慕っていた故人の東洋英和大学名誉教授に聴き、知ったのだ。それまで東京都で火葬されたと思い込んでいたからだ。
他にも、メソジスト系の宣教師や信者からも話を聴いていた。
火葬の後、遺骨は太平洋に撒いたのだと。
「自分も、東条英機みたいに久保山火葬場で火葬して、太平洋に散骨するんねんで」
と、エンディングノートに書いていたのだ。

猪瀬直樹先生や他の方の話によると、興禅寺の市川住職が久保山火葬場から、こっそりと灰を?

もう!どっちやねん!

と、本日、たまたま、亡き市川住職の奥様に御会いしたのだ。
息子さんは、仙台から新潟に仕事で行かれていていないので、般若心経の会や座禅会は、若い修行僧が指導するけど、息子がいる時にしたら?との事で、来月にお伺いいたします!と。

そして、思い切って、火葬場での灰の話を聴いてみたのだった。
「実は、猪瀬直樹先生が都知事時代、息子が東京都の私立中学で、署名などで知ってるんです。猪瀬直樹先生の本によると、こちらの市川住職が、火葬場に行かれたと。
メソジスト系のアメリカ人らから聴いたのでは、東条英機らを火葬した後の遺骨は海に散骨したと。どうなっているのでしょうか?」
「確かに、アメリカ軍は太平洋に散骨しましたよ。でも、全部の灰を取り切ったわけじゃあないのよ。少しは残るでしょ。残った僅かな灰を集めて、お寺に持ってきて供養したの」

なるほど、どちらも正しかったわけか。まるで、ブラックジャックの赤ちゃん取り換え事件裁判の結末のようだった。

確かに、彼らはA級戦犯だったのだろう。だが、それはアメリカ軍から観てなのだ。
そして、供養されずにいていいわけではない。


昭和23年12月23日。上皇陛下15歳の誕生日が処刑執行の日であった。
当時、横浜には多くのアメリカ軍がいたと、昔ヘルパーに行っていた先で聞いたことがある。
アメリカ軍が多くいる中での、市川住職の行動は勇気あるものだった。

この所、大きなお寺ばかりに行きたがっていたのだが、こういう小さなお寺にある素晴らしいエピソード。そういうのを先人から聴き、ネットに投稿する事が自分の役目ではないだろうか。なんて思っている。


お寺の外猫、サビーちゃん。夫人が餌をあげているという。

曹洞宗海門山興禅寺
横浜市南区清水ヶ丘225
JR保土ヶ谷駅より徒歩20分
京急黄金町駅より市営バスにて聖隷横浜病院前下車

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